観光都市「西宮市」としての発信を、遅まきながら、ようやく行政の主事業として
取り上げた西宮市。
昨年はプレイベントとして行われた「西宮まちたび博」は、発信の前にまず西宮市民に
知識や、理解を求めて、市民への内なるイベントでしたが、今年は本番行事ということで、
昨年の経験を踏まえて、ただ今は今年のまちたび博のコース設定や、プログラムの決定に
余念のない時期です。
昨年以上に、今年こそは西宮市の内外に、より多くの西宮の魅力を発信してほしいと、
西宮市民である私も願っております。
そして、私も昨年同様「万葉のふるさと、西宮」をアピールしたいということで、ご協力を
させて頂くことになりました。
10首の万葉歌に歌われた「万葉故地」や、西田町の万葉植物園と銘打った名所を除くと、
明日香村のようにそんなに多くのポイント地点があるわけではないので、みなさんを
どのようにご案内すべきか、私としては悩ましいところです。
西宮市観光振興課…と部署も改まった担当者の菅梅さんから「今年のコース」についての
お尋ねもあり、3連休中の15日に、わが家から近い場所ですが、貴重な西宮の万葉歌碑の
ある鳴尾浜へ行ってきました。

久しぶりに歩いたこの地は、平成7年の阪神淡路大震災の後、犬養先生が一時的に避難して
おられた武庫川団地の周辺で、私も何度も行き来した場所でしたが、一時はあふれんばかり
だったこの新興団地のにぎわいも、今は時が過ぎ、人も減り、3つあった小学校も統合
されてとうとう1つになっていました。
歌碑は、高須東小学校前にあったのですが、その目印となる「小学校がない!」
なんと平成20年に統合、閉鎖され、建物だけが敷地にあり、私は標示を頼りに探していたので、
この碑に久しぶり…の対面を果たしました。(汗)
近くにもう一つ

西宮の「武庫」を詠んだ遣新羅使人の歌2首の歌碑です。
歌が刻んであるだけの石柱で、誰が作ったとも、いつできたとも何も表示がありません。
久しぶりに暑い日中を歩き、変化のある土地の様子を思い遣りながら、
うーん、この中途半端なこの存在を何とかしてやりたい…。そんな気持ちで帰宅しました。
2つの歌碑は遠くからだとこんな感じです。住人にどれだけ意識があるでしょうか。


投稿
犬養先生のご縁で、長いお付き合いとなった竹内正幸さん。
東大阪に在住されていますが、出身は島根県の邑智郡邑南町(旧・瑞穂町)で、
故郷に志都石屋神社があることから、犬養先生に揮毫を依頼されて、昭和63年に
巻3-355の生石村主真人の歌
大汝 少彦名の いましけむ 志都の岩屋は 幾代経ぬらむ
の万葉歌碑を建立され、地元に寄贈されました。
私は、その頃から犬養万葉顕彰会でお親しくなりましたが、その竹内さんの奥様が
5年前に亡くなられ、生前から個展を楽しみにしながら、書き溜められた書道の作品が
ご自宅にそのまま残っていました。
竹内さんにお子さんもおられないことから、おひとりになられて、多くの遺された作品を
前にしながら、傷心の日々を重ねておられたことが、私たちも気になっていました。
直後から竹内さんを励ます意味でも、私は奥様の遺作展をされることを提案していました。
5年の法事を澄まされてから、昨年末にいよいよ決心され、TSUBAICHIで作品展を開催する
ということになりました。そして、半年がかりで準備を進めてまいりました。
先日の5月25日から29日まで5日間、故竹内美代子作品展を開催させて頂きました。
遺愛の品々です。篆刻の印は竹内さんが彫られたものとか。すごい!

自宅にある膨大な作品の群から、竹内さんが選び出されたものと、また私たちが素人目に
いろんな形式・字体・作品の個性などから、独自にも選ばせて頂きました。
書道作品は44点、そして、せっかくの機会ですので、夫君の竹内さんも水彩画をたしなまれ、
竹内雅雪という号まで持っておられる画家でもありますので、お願いして絵画を10点出品して頂き、
「夫婦展」と言う設定で、開催させて頂きました。
そして特別出品物として、ふるさとに建てられた万葉歌碑の犬養先生の揮毫の墨筆(原書)も
ともに、狭いサロンいっぱいに飾らせて頂きました。

私たちも竹内さんの奥様の遺志を遂行するお手伝いができたことに、大変満足しておりますが、
連日サロンに多くの方が足を運んで下さいました。
旧知の友人や職場の同僚や、教え子の方々から、奥様のお人柄を伺い、面倒見の良い優しい
方だったことを知りました。また、「書道」に対するなみなみならぬ情熱を聴かせて頂き、
私たちも何気なく独自に選ばさせて頂いた作品も、実は、奥様の座右の銘であったり、書も
篆書・かな書・条幅書、漢詩など、多岐に渡ったもので、皆さんがバラエテイに富んだ作品を
感心したり、楽しんでくださいました。
きっとこれは奥様が作品展のために、私たちに選ばせてくださったのだとしみじみ思いました。
また、竹内さんも趣味人で、絵画のほか、二胡を演奏されたり、舞踊をされたり、茶道など
器用にこなされますが、このたびも竹内さんの希望でお茶席を開いてほしいと要望があり、
ちょうど茶道をたしなむ私の義妹に協力を仰ぎ、茶席を設けてもらいました。
家族や友人や「人脈ネット」をフルに使える私の強味です(笑)。
季節柄もありお茶箱の手前を披露してくれました。

準備も期間中も緊張しましたが、サロンを駆使して、「竹内さん」が、「奥様」が喜んで
くださるためにと、展示やお接待に頑張れたことは、私たちも達成感がありましたし、
サロンのにぎわいも嬉しいことでした。
加えて、道行く方々が興味を持って入場してこられたことも思いがけない収穫でした。
作品展の終わったあと、竹内さんが、目的達成でどっとお疲れがでないかと心配です。
この機会をきっかけに、より元気を出して頂きたいのが目的でしたから…(汗)。
天国の奥様、書道に人生と情熱を注がれたご様子を私もしっかりと拝見させて頂きました。
そして、多くの方々が作品を通して奥様を偲ばれましたよ。いい機会でした!!!
私が講座をさせて頂いている宝塚コープカルチャーで、春と秋に万葉の散策を
行っています。
第1回はもちろん明日香村。そして2度目に昨秋に山の辺の道(桜井編)を訪れ
ました。その後にアンケートをとり次回の希望地を訪ねたところ、山の辺の道の続き
と同じくらいの人気が「宇陀の阿騎野」でした。
季節も考慮して、宝塚からの時間的距離は遠いですが、拠点の故地めぐりと言うことで、
いよいよ5月23日に宇陀の里を訪ねました。
私たちが犬養先生の万葉旅行で体験させて頂いたのは、近鉄朝倉駅から出発し、狛峠を越えて
山越えをしながら「かぎろひの丘」へ到達する古代の「道」です。阿騎野が夕方の最終地点
でしたので、阿騎野と言っても阿紀神社とかぎろひの丘と、後の発掘の中ノ庄遺跡くらい
しか行ったことのない私でしたが、今回は「万葉の故地」と秋山氏が開いた「松山」よいう
町並みの歴史散策の二本立てが目的となりました。
下見は3月でしたので、殺風景な寒々とした光景でしたが、一転、季節の草花だけではなく、
青々と雑草の緑も美しく、初夏を思わせるような1日でした。
この花が、宇陀市の花、かざぐるまです。はじめて見ました。

近鉄榛原駅から、奈良交通バスで大宇陀へ。大宇陀のバス停留所が道の駅でもあるので、
ここが終点でもあり、発着の起点でもあります。

午前中は、大宇陀で発掘された行宮跡の中ノ庄遺跡へ。今は人麻呂公園と名付けられて
遺跡の上に、宮柱の再現や、古代の竪穴式復元住宅や、馬上の人麻呂の石像がシンボル
となって、画期的な歴史的事実の紹介がなされています。

そこから、阿紀神社へ。万葉歌碑がありました。そして、かぎろひの丘へ登り、
全員で東の方を臨みました。

もう40回と言う「かぎろひを観る会」の時にはにぎわうこの場所も、平日は誰にも出会う
ことのない、もったいないような静謐の丘です。
中ノ庄遺跡が発掘されるまでは、この丘で野宿をしていたのかも…と考えられていた
この場所には、書き下された佐佐木信綱さんの万葉歌碑が建立されています。
ゆっくり過ごした後、丘のふもとの今は大宇陀地域事務所となった(合併前は大宇陀町役場)
建物の隣にある中央公民館へ。ここには、中山画伯の「阿騎野の朝」という大壁画があり、
見学させて頂きました。
(その時に、山崎直子さんの朝顔の種まきの話を聞きました。)HP
そして、昼食は道の駅へ戻り、レストラン甘羅(かむら)で、人麻呂膳を賞味しました。
ネーミングのこだわりが感じられないフツーのお食事でした。(笑)
食後に地元名産のブルーベリーのソフトクリームを食べ、午後の散策に出発。
午後は、宇陀の里として今熱心に取り組んでおられる松山の街並み見学でした。
宇陀松山地区は商家町として、2006年の7月に重要伝統的建造物群保存地区に選定
され、奈良県で今井町・五条町の3つだけしか選ばれていません。
家、屋敷など建物の特徴の面白さや、もともと薬の町として賑わったことから、森野薬草園を
はじめとして、有名なお薬屋さんの発祥の場所として有名だそうでした。
森野薬草園は、吉野葛の加工・販売で有名ですが、また江戸時代からの広大な薬草園を
公開しておられるので、全員で1時間以上かけて、ゆっくり楽しみました。
来春は是非かたかごの群落もみてみたいな…。
時折、車が通る街道筋を散策して、かつて城下町の出入り口にできた黒門まで…。
全員で記念写真を写しました。

お天気にも恵まれ、予定の時間通りみなさんきちんと過ごしてくださり、私も気持ち良い
1日を過ごさせて頂きました。
現地で万葉の歌を味わい、歴史に思いを馳せ、その実体験をしているかのような臨場感は
万葉の旅の醍醐味です。
またの機会を約束しながら、春の万葉講座は無事終了いたしました。
ゴールデンウイークの週間は、予報と少しずれて不安定な天候でしたね。
5月3日・4日は、恒例の福井県越前市味真野地区の万葉祭りの日でした。私もかつて
出演させて頂いたこともあります。一昨年味真野観光協会の設立30周年記念の行事で、
私は光栄にも「ふるさとの誇り」という題で、記念講演をさせて頂きました。
もちろん万葉故地として友好・協力関係のある高岡市からも朗唱の会に誘う会の代表、
玉井さんも来られていました。
その時に30周年を記念して、3年がかりの事業を始められたことを知りましたが、昨年いよいよ
完成し、その完成式が万葉まつりの中で行われると言うことで、お招きを受けていました。
ブログにもかつて書いたことがありますが、事業内容は、味真野が狭野弟上娘子と中臣宅守の
贈答歌63首が詠われた背景となる万葉故地ですので、味真野の里を知って頂く手立てとして
ふるさと散策の道しるべ、万葉道標を歌の数だけ、すなわち63基建立されのです。
比翼塚に犬養先生の歌碑のある味真野苑から小丸城址まで、約2.2キロの距離です。


TSUBAICHIバス旅行で訪れたり、建設中も味真野へは伺いましたが、完成した記念として
今回お招きをうけた私は、わずかな寄付しかしておりませんのに、協力者として立派な
感謝状を頂戴し、恐縮いたしました。(ホームページトップ写真)
私の名前を刻んで頂いた道標は、観光協会会長さんと連名ですので、やや大きめ?

本当にうれしく、ありがたいことです。万葉故地に自分の魂を残すことができるなんて
思いもよらないことでした。
さて、年に一度の万葉まつりは、3日は曇り、そして完成式のあった4日は終日の雨。
4日にはメインイベント、味真野で主役の万葉歌人と、地元に伝わる謡曲「花筐」の主人公、
継体天皇と照日の前の2つのカップルが立派な輿に乗られて、その前後には文官、武官が
お守りしながら里を行列する「万葉行列」が有名ですが、例年に増して特別に準備された
機会であったにもかかわらず、無情の雨。直前まで検討された結果、止む無く中止となり
本当に残念でした。久しぶりに見たかった外部の私たちより、この日のために準備をして
こられた関係者や地元の方々の方が残念だったに違いありません。
地元の人々の理解や協力を兼ねて、万葉中学校で3年生になると衣装をまとい、行列に加わり
思い出作りをするのですが、こうして中止になってしまうと中学生が楽しみにしていた
3年目の地元らしい貴重な行事の体験ができなくなり、大人になってから、参加した子供と
参加できなかった子供の心に残る地元意識がきっと違うと思うのです。
「行列させてあげたかったなあ」としみじみ思いました。
万葉まつりは、味真野苑の駐車場を利用して、トラックの移動仮設舞台が作られて、
舞台発表などが次々行われました。舞台の背景の素晴らしい絵と書は、山本清子さんと
おっしゃる地元の幼稚園の理事長さんの作品ですが、お話を伺ってみると、美容院を経営
なさっておられ、万葉まつりでお茶席を開いてくれていた仁愛大学の茶道部の学生さんたち
の着付けも朝から大勢なさったそうですし、万葉菊花園に展示してある真柄十郎左衛門の
大きな大きな「人形」や甲冑を越前和紙や編みこみの技術でもって作られた、もはや器用を
通りこし、ご本人のチャレンジ精神が新たな制作を生み出される、すごい方ともお会いしました。

私も久しぶりに訪れた万葉まつりでしたが、模擬店も若い人のオシャレなシフォンケーキの
カフェがあったり、地元ならではの越前そばはもちろんのこと、枋葉めしや、たけのこごはん、
また、新たに味真野恋の万葉焼という、タイ焼き風の焼きまんじゅうもあり、みなさんの
努力と時の流れを感じました。
舞台での催しも、以前のカラオケ大会のような、地元サービス的なものより、家族で
楽しめるようなイベントや、ふるさとの郷土色豊かな芸能や民謡などがプログラムに加わり、
また、地元の仁愛大学も共学となって男女の学生たちの積極的な参加に、若さや新鮮さが
感じられて、商工会中心の行事から、官や観光協会、民間の婦人会や大学生など、いろんな
立場の方々の参加に変化していた様子に驚きました。
そして、それが、いい感じでした。
雨の一日でしたが、かえって緑が萌えて、春爛漫の花盛りの様子がより美しく、
味真野苑でゆっくり堪能してきました。
一人で犬養先生の比翼の歌碑に順番にご挨拶し、朗唱してきました。
フォトギャラリーで庭園のお花をアップしますね。
4月11日、いよいよ新たに私が担当させて頂く「万葉講座」が始まりました。
2月末のブログにも書きました、「犬養万葉を引き継ぐ」講座です。
桝川先生は、猪名川町に住んでおられますので、猪名川3教室、そして隣接した大阪府
豊能郡豊能町の1教室と4つの講座を持っておられました。20年以上の年月に受講生が
増えていったのだと思います。
桝川万葉のこれまでを伺いますと、年2回の「万葉の故地をめぐる旅」を楽しむこと。また、
講座の授業中に犬養先生のエピソードなどが、半分以上を占めることがあるらしい…くらい
まさに「犬養万葉」の踏襲だったようで、桝川先生の受講生は犬養先生の孫弟子のような
もので、私も同じ輩であったことが、今回の引き継ぎのすべてだったように思います。
しかし、上掲の「宣伝チラシ」を拝見しますと、大変立派なものですが、きっと初めて見た
人には、写真の姿や「万葉うたがたり」など理解しがたく、「一体、この講師は何者?」と
思われたことでしょう。
桝川教室から来られた方はともかく、チラシでお誘いを受けられた方は半信半疑で集って
来られたようでした(笑)。
初回でしたので、まず自己紹介と「万葉うたがたり」活動のご紹介をいたしました。
そして私の講座は、定番の万葉講座ではなく、やはり「万葉うたがたり」として、万葉歌と
音楽を楽しんで頂きながら『万葉集』を楽しんで頂く講座であることを申し上げたのち、
きょうは、私のテーマソング「サンバDEツバキ」と、万葉人の心情を理解していただくのに
もっとも私が好きな「祝婚歌」をご紹介いたしました。
犬養先生が産経学園などで引退されるときに、やはり高齢になっておられた受講者が、
先生が辞められるときは、私も辞める時…と何人もの方々がカルチャーを辞めていかれました。
桝川先生の教室でも、長く講座を続けてこられましたので、きっと桝川先生が辞められる
時は私も…と辞められた方も多いことと思います。
桝川先生との「絆」ゆえに、新たな機会には参加したくない方も当然あることでしょう。
そんな中で、桝川先生自身も健康上のご不安があり、勇退される時期の決断と「自分が
辞めてしまうことで、猪名川町の万葉講座の灯が消える」ことの懸念で、この1年間悩み続けて
きたとおっしゃっておられました。
私はともかく「犬養万葉を引き継ぐ」ことで、承諾させて頂きました。
ご無理があったかと思いますが、4教室を1つにまとめて頂き、猪名川町の日生中央の
公民館で新たに猪名川万葉の会のご協力をさせて頂くことになりました。
4月11日はあいにくの雨でしたが、春の訪れが遅かったせいで、山間の日生の里にも桜が
咲いたばかりのようでした。
公民館の窓から見える桜並木の景色が大変美しく、思わず景色を見ながら「さくらさくら」を
全員合唱してのスタートとなりました。
今回を皮切りに、毎月第2水曜日に猪名川町の日生中央の公民館に伺います。
私が初めて社会人として仕事を始めた、20代後半の頃にヤマハ音楽教室の講師として
配属された場所が、川西市のハセガワ楽器でしたが、その楽器店のエリアに属する「日生中央」は、
楽器店の最北の店舗・教室でしたが、私もピアノの発表会で駅前のカリヨンホールを
利用させて頂いたことがありました。
30年ぶりに訪れた日生中央駅。会場の公民館は、なんとそのホールと同じ建物に…。
「縁」というか、再びこの地を訪れる機会があったなんて…と大変感慨深いです。
人生の長い道程のドラマを思い起こします。
そして、この講座も、まず1年はがんばって続けないと…と思っております。
猪名川万葉の会の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
さくら・さくら・さくら。
4月5日は、清明の日。昨年も一昨年も「氷上のかたかご」を見に行った日です。
奇しくも同じ日のバス旅行は、1月にご縁を頂いたパナソニック松愛会(OB会)で、クラブ
活動の一つである「見て歩こう会」が主催されたバスツアーに参加させて頂きました。
…と言うのは、交野支部では、念願であった松下幸之助さんの生誕地を訪れて、そこにある
お墓にお参りをするという企画の旅行だったからです。
新年会の総会で、私は「松下幸之助と万葉集」というお話をさせて頂きましたが、その時に
門真市にパナソニック・ミュージアムがあり、私が古都明日香記念財団からお借りして、
当日持参した「高松塚に天皇陛下をご案内されている写真」が、そこにあることや、また
西宮市の名次町に松下家のお邸があるけれども、幸之助さんが住んでおられた建屋は、枚方市に
移築されていることや、私が希望すればどちらもいつでもご案内をしてくださる旨、
お声をかけて頂きました。
そして、加えて4月5日の計画を教えてくださり、お誘いを頂きました。
一瞬、4/3の備前の旅、4/7・8のサロン3周年行事の準備!!!が頭をよぎりましたが、
めったにないチャンス。犬養先生の言葉通り「今しかやれないことをやりなさい!」…と、
山寺さんと二人で参加表明をしました。
結果、素晴らしい紀伊の国の桜の見ごろの日とも重なり、「行ってよかった!」と
思いました。犬養先生、背中を押していただき、ありがとうございました。
目的はまず、松下幸之助さんの生誕地を訪ねること。和歌山県の市内に近い和佐村にあり、
「松下幸之助」生誕の地という標柱やプレートもありましたが、そこには松下公園という
「松下」と名のついた公園もあり、全員で記念写真を写しました。
さくら、さくら、さくら。
そこには、松下幸之助さん(松下家)の墓所もあり、参加者全員でお線香をあげてお参り
させて頂いたのですが、実は思いがけない感動がありました。
それは、能天気な私が心の準備もなく、参加したせいもありますが、山寺さんは予感が
あったそうです。
その松下家のお墓には、3年前に亡くなった松下正幸さん(孫)の夫人、昌子さんが
眠っていたのです。
昌子さんは私と甲南女子校で10年間過ごした同級生でした。
50代で、またご長女の結婚式を数日後に控えての訃報だっただけに、私たち同級生は
本当に悲しいご葬儀だったことを思い出します。
「オカモ、声をかけて!」と言われて、霊柩車が出発する時に「よし子ちゃん、さようなら」
と私が叫びました。
その墓所が和歌山県のこの地にあるとは夢にも思いませんでしたし、偶然参加したこの旅で
幸之助さんとともに、昌子さんのご霊前に向かえたことを本当にうれしく思いました。
山寺さんが「よかったね。御霊には、お墓の石を撫でてあげるといいっていうよ。」と教わり、
恐る恐る墓石を撫でました。それを見ておられた方があったようで、「松下さんの墓石に
触れていたのは、あなただけでしたね。」と言われました。
友人たちもここまでお墓詣りに来ることはきっとないでしょうから、本当に友人代表で
墓参ができたことは、くすしき巡り合わせでした。
その後の旅の目的地は、和歌山城と紀三井寺でしたが、紀三井寺の副住職がおっしゃるに
気象庁の開花標準計のある紀三井寺に前日「満開宣言」が出たそうで、1年365日ある中で
桜の最も美しい「選ばれた1日」にやってきた私たちの幸運をほめてくださいました。
万葉の「和歌の浦」を背景に紀三井寺で写して頂いた写真です。
さくら、さくら、さくら。
そしてオカモの写した「芸術写真」。紀三井寺の塔と桜です。青空に映えて美しい光景でした。
ベストショットといったところです。いかが???
最後に、「めっけもん広場」というJAの経営している激安市で、お野菜やミカンやなど、
「主婦」のお買い物をおみやげに買い込み、帰途につきました。
バスも時間通りに快適に走行し、予定通りに帰着。
ただし交野住民の行事ですので、私と山寺さんは行きも帰りも「河内磐船」駅集合ということで、
朝は早く、夜は遅くなりましたが、本当に楽しくて、貴重な思い出の残る1日となりました。
9月には、私が松愛会の方々を明日香村へご案内することになりましたが、個人的にはまず
パナソニックミュージアムへ伺わせて頂きたいと思います。
縁が深くなり、なんだか私も「松愛会」の一員になったような気がしてきました(汗)。
♪「明るいナショナル! 明るいナショナル!!!」♪
地元の漁師さんの軽トラックからおろされた「魚」は、今朝とれたばかりの鮮魚。
名は「めじろ」。鳥見たい??? いわく「はまち」だそうだ。
はまち、ぶりは日本海だけではないのね!と50センチ以上ある大きな魚に感動。
白崎の岬の高台にできていた展望台で記念写真。犬養先生との旅行では、こんな整備された
公園ができるなんて、夢にも思わなかった。もちろん最近できたスポットのようであるが、
セメント原料の採取で、岬の形は昔の半分くらいになっていると聞いた。
景観保護のために採取が行われなくなってから40年余りで、岬が無くなるのは食い止める
ことができたようだが、公園整備されてしまい、またそれなりに風情が無くなってしまった。
たとえば「世界遺産登録」などは「自然地」のままであることが、第一条件であるらしい。
景観を残すことと、維持管理の方法は、一体でなされなければ、無意味な整備になる。
私たち万葉ファンには、原風景の残るたまらない稀少な故地であり、しかし地元周辺の
人にとっては、海水浴・釣り・遊びにだけ最適の「観光地」になっていないか、気になる
ところ…かな。
やはり紀の国は、大らかさがある。温暖と、海や空の青が、気持ちをゆったりとさせて
くれるのだろう。船には乗れなかったけど、湯浅の町を散策した。
かつて賑わった熊野街道や醤油商家、古い街並みが残っている。
旧家の格子ごとに蒸籠がケースになったまちかど美術館があり、いろんな種類の生活民具が
展示されていて面白いと思った。
もちろんミカンの里、無人の店から、多種類のミカンが積まれた果物屋さんまで、ミカンを
買わずにはいられない。
リュックが重くなるので、おみやげに私は小粒の「ハルミちゃん」を購入。
解散がお昼だったので、やはり名物を…と食べたのが、はい、このしらす丼です!
紀州路はまた4月5日に訪れる!
次は「桜」が楽しめそうだ。
大木さんへ、
3月20日、31回目のMBSラジオウオークが行われましたが、コースが春日野周辺でした。
春日大社・東大寺・二月堂・興福寺など、有名なスポットがたくさんあり、午前・午後と
コースを2通り準備されて、登大路の仮設ステージを拠点にのべ3万人の人が集いました。
久しぶりにうららかな春の一日となり、私も久しぶりに参加しました。
ラジオウオークで示されたコースもありましたが、私は12月に建立された犬養先生の
古事記歌謡の歌碑をまた見たくて、一通りラジオウオークの様子を見た後は、さっさと
歌碑にご挨拶に…。
場所もわかりやすく、大きく立派な歌碑なので、よく目立っています。
「先生、こんにちは。」
ラジオウオークの出演者の方々にも「すぐ近くに犬養先生の初めての古事記歌碑が建立
されましたよ」と、ご紹介しました。見てくださったかな…と思います。
茨城県の石で、大木さんが建立されたなんてみなさん想像外のことですね!
奈良・春日野の森に素晴らしいシンボルができて、とてもうれしいです。
春日野の森は、あちらことらで「馬酔木」が満開で、梅や桃・桜の話題が多い中、春を
告げるあせびの花々がたわわに咲いていました。
日当たりの良いところが早く、葉も艶々と緑がきれいでした。
昨日から全国高校野球が始まりました。石巻工の主将の選手宣誓は立派でしたね。
表現も上手だったし、私たちの心に響く「言葉」でした。
春は茨城県代表が出場しないので、甲子園球場にはいらっしゃいませんが、また大阪へ
来られるときは、TSUBAICHIにお立ち寄りくださいね。
写真は、『万葉集』の1首にしか見られない、水草の植物「あざさ」の鮮やかに美しく
咲いた様子です。花の季節は、7月頃から9月頃までの「夏」の花です。
奈良県磯城郡三宅町は、いわゆる大和国中(くんなか)といわれる、大和の中央部の平野
ですので、「大和のへそ?!」とも言われているような…。
このあたりへは、犬養先生とともに学生のころから万葉旅行で歩いたことがありましたが、
竹田の庄や、三宅の原、百済寺など、周辺に犬養先生の歌碑が建立されてからは、たびたび
一人でも訪れていました。
このたび訪れた三宅町は、巻13の問答歌の中に「うちひさつ 三宅の原ゆ…」と
明確に「地名」が詠われていることから、地元でもこの万葉歌が意識されていたようです。
平成8年に犬養先生の揮毫により建立された歌碑は、当初杵築神社の境内に設置されたのですが、
わかりにくせいか、翌年神社から、道路沿いの場所に移設されました。
最近では犬養万葉顕彰会で行った記憶がありましたが、それでも数年以上前になるかと
思います。
寒い日でしたが、早くに到着したので、少し散策してみました。
なんと、歌碑の周辺は、すっかり整備されていて、「あさざ」の池がいくつもあったり、
三宅町の案内・説明板ができていて、歌碑とともに象徴的空間になっていました。
また、すぐ近くの三宅町役場にも「あさざ」の池や、あさざマスコットキャラクターの
みやっぴい!など、石材でできたシンボルゾーンなどもできており、「お~っ!」
おもわず歓声をあげるくらい、「あざさ」の存在が目につきました。
そして、歩いていくうちに、いくつもの民家の前に立て札をして、あざさのフラワーポットが
置かれており、まさに町を挙げて「あざさ」を大事に植栽しておられる様子を見ることができ、
驚き以上に感心しました。
「三宅の原」の歌ですが、その歌の中に歌われた万葉の貴重な花「あざさ」(今はアサザと
呼びます。)に注目して、今や三宅町の町の花として大事にされていることを確認し、
犬養先生の歌碑が建立されて以来、より活気ある町となっていることをうれしく思いました。
そして、土地の鎮守の神様「杵築神社」に敬意を表した後、犬養先生の歌碑にご挨拶してから、
講演会場「三宅町歴史講座」に行きました。場所もやはり!「あざさ苑」という名のついた
多目的福祉会館でした。
「歴史講座…」と、私には大層な名目ですが、この万葉歌を私は20年以上前に作曲をして
おりましたので、「夏野の恋歌」として、機会があるたびにみなさんに既にご紹介をしてきました。
偶然地元の方が、「すでに曲となって歌われてる」という情報を明日香村の
伝統芸能保存会の前会長の勝川さんから聞かれたそうで、私に音曲の問い合わせがあったり、
楽譜の購入があったり…とその後やり取りがありました。
そのご縁で、今回私に「夏野の恋歌」の万葉歌を説明してほしいとお声がかかったような
次第です。
しかし、私が話を始める前に、「歌と踊り」があることを聞いていましたが、なんとなんと
わざわざCDと同じように「夏野の恋歌」の伴奏をコピーされ、私たちが歌っている通りに、
美しいドレス姿の婦人コーラスの方々が歌ってくださいました。そして、その中を華やかな
万葉衣装を着られた男女の方々が、その「夏野の恋歌」に合わせて踊ってくださったのです。
私は感激、感動の何物でもありませんでした。拍手喝采しました。
踊りは1年かかりで振付をされたとか??? みなさまご準備を本当にありがとうございました。
こんな風に私の歌が、万葉故地でそこのみなさんに愛唱されるほど幸せないことはありません。
そしてオープニングでこのような歓迎を受け、私は作曲・活動冥利に尽きる思い…を
しみじみ味わわせて頂きました。本当にありがとうございました。
その後の私の話など、なくてもよかったかも…(笑)。
思いがけなくよい機会を頂戴し、ありがたく存じました。
三宅町は奈良県下でもっとも小さい町とか。それだけに「結束」や「まとまり」もよいのでしょうか。
コーラスや踊りの方々もみんな「あざさ」の飾りをつけておられましたが、町中に「あざさ」
の花や言葉があふれ、黄色の大変鮮やかですが、可愛い花が三宅町の「うらぐはし児」を
ひきたてているようです。
私がもう一つ感心したのは、兵庫県稲美町では、天満大池をはじめため池で、あざさを
積極的に植栽されており、その貴重な絶滅危惧種の「あざさ」を地元で守り、アピールする
べく、私も協力してコンサートで万葉の歌やあざさをご紹介したり、積極的にあさざの
お話をしてきた経緯がありますが、ご紹介してもあざさが稀少植物なので、さすがに
知らない方も多い花です。それが、三宅町では町民で誰一人知らない人はいないような
「取り組み」とアピールの状況について、ぜひ稲美町の方々に三宅町の現状報告をしたいと
思いました。
「あざさ」の髪飾りは、私たちも万葉うたがたり会で制作し、時々頭に着けています。
三宅町でまたコンサートでもさせて頂く機会があれば、ぜひご披露したいと思います。
私たちのあさざは「大きすぎて」びっくりされると思いますが…(汗)。
犬養先生の歌碑とも会えたし、万葉故地が生き生きとしている様子を拝見して、久しぶりに
ほっとしたというか、ほのぼのとした喜びに満たされた1日でした。
そして、三宅町のみなさんには、これからも「夏野の恋歌」をいるまでも愛唱していって
頂きたいな…と心から願いました。
長年続いた「飛鳥古京を守る会」が1つの時代の役目を終えて、解散されたことは記憶に新しい。
犬養万葉顕彰会が解散した時と似たような会員状況が起因していることも否めない。
しかし、飛鳥古京を守る会に入っておられた方々の意を受けて、また、引き継ぎ「明日香村」を
多くの人たちが、愛し、守り、支えていくために「何か」「誰か」中心で導いていく「核」が
必要となる。
昨年春、坂本先生からご連絡を頂き、新たに「飛鳥を愛する会」を起ち上げ、考古学と
万葉集の先生方を中心に、再び「飛鳥ファン」のための組織が生まれた。
その組織運営の中に、私にも参加・協力の要請があり、発起会早々から欠席していたにも
かかわらず、会の役員に名を連ねてくださっており、大変恐縮した。
ただ、「私」は」1民間人であり、熱い思いを明日香に対してアプローチする時に、やはり
「会員」であることの意義は大きいと思うし、私も運営する側のメンバーに入れて頂けた
ことを心から感謝している。
それから約9か月…。総会・秋の旅行、何も参加できないままで気になっていたが、
ようやく初めて全体会議に参加することができ、会長の木下正史先生や、関大の橿考研の
先生方などともお目にかかることができ、よい機会となった。
また私が今回楽しみにしていたのは、秋に関村長が勇退された後、明日香村村長となられた
森川村長とお目にかかることだった。
冒頭、自己紹介もかねて丁寧にご挨拶されたが、雰囲気はロマンスグレイで、しかし
お若くて都会的な雰囲気の村長さんとお見受けした。
村長は、今明日香村のいろんな組織に馴染んでいかれることが先決で、きっと「飛鳥を
愛する会」もどのような会なのか、興味深く参加されていたと思う。
内外ともに明日香村が注目を浴び、明日香村の活気を増していくために、森川さんも
いろいろな構想を持っておられるだろうし、いろんな団体をどのように有効利用して
いけばよいか、思案中でいらっしゃるだろう。
村としての規模は小さくても、国家レベルの特別保存法で守られた地域でもあり、
いろんな懸案事項がある中、関村長以上に、新しい時代の明日香村を作るために頑張って
頂きたいと心から願っている。やっと名刺交換ができてほっとした。
そして、犬養先生のことを知って頂くために、私たちの30周年記念コンサートのビデオを
お渡しし、第2部の「万葉人生」の犬養先生を見てください!としっかりアピール。
見てくださっているかなあ。
首長の交代で、明日香村も新たなスタートを切られたことを実感した。
私もあらためて飛鳥を愛する会で何かお役にたてれば…としみじみ思う。
そうそう、事務局長の北村憲彦さんは、私と同じ年。また犬養先生と親しかった明日香村の
文化財課出身の方で、犬養先生のことをしっかり覚えてくださっている方がこの組織に
おられたことも幸いだった。
神に感謝!!!






