犬養先生のご縁で、長いお付き合いとなった竹内正幸さん。
東大阪に在住されていますが、出身は島根県の邑智郡邑南町(旧・瑞穂町)で、
故郷に志都石屋神社があることから、犬養先生に揮毫を依頼されて、昭和63年に
巻3-355の生石村主真人の歌
大汝 少彦名の いましけむ 志都の岩屋は 幾代経ぬらむ
の万葉歌碑を建立され、地元に寄贈されました。
私は、その頃から犬養万葉顕彰会でお親しくなりましたが、その竹内さんの奥様が
5年前に亡くなられ、生前から個展を楽しみにしながら、書き溜められた書道の作品が
ご自宅にそのまま残っていました。
竹内さんにお子さんもおられないことから、おひとりになられて、多くの遺された作品を
前にしながら、傷心の日々を重ねておられたことが、私たちも気になっていました。
直後から竹内さんを励ます意味でも、私は奥様の遺作展をされることを提案していました。
5年の法事を澄まされてから、昨年末にいよいよ決心され、TSUBAICHIで作品展を開催する
ということになりました。そして、半年がかりで準備を進めてまいりました。
先日の5月25日から29日まで5日間、故竹内美代子作品展を開催させて頂きました。
遺愛の品々です。篆刻の印は竹内さんが彫られたものとか。すごい!

自宅にある膨大な作品の群から、竹内さんが選び出されたものと、また私たちが素人目に
いろんな形式・字体・作品の個性などから、独自にも選ばせて頂きました。
書道作品は44点、そして、せっかくの機会ですので、夫君の竹内さんも水彩画をたしなまれ、
竹内雅雪という号まで持っておられる画家でもありますので、お願いして絵画を10点出品して頂き、
「夫婦展」と言う設定で、開催させて頂きました。
そして特別出品物として、ふるさとに建てられた万葉歌碑の犬養先生の揮毫の墨筆(原書)も
ともに、狭いサロンいっぱいに飾らせて頂きました。

私たちも竹内さんの奥様の遺志を遂行するお手伝いができたことに、大変満足しておりますが、
連日サロンに多くの方が足を運んで下さいました。
旧知の友人や職場の同僚や、教え子の方々から、奥様のお人柄を伺い、面倒見の良い優しい
方だったことを知りました。また、「書道」に対するなみなみならぬ情熱を聴かせて頂き、
私たちも何気なく独自に選ばさせて頂いた作品も、実は、奥様の座右の銘であったり、書も
篆書・かな書・条幅書、漢詩など、多岐に渡ったもので、皆さんがバラエテイに富んだ作品を
感心したり、楽しんでくださいました。
きっとこれは奥様が作品展のために、私たちに選ばせてくださったのだとしみじみ思いました。
また、竹内さんも趣味人で、絵画のほか、二胡を演奏されたり、舞踊をされたり、茶道など
器用にこなされますが、このたびも竹内さんの希望でお茶席を開いてほしいと要望があり、
ちょうど茶道をたしなむ私の義妹に協力を仰ぎ、茶席を設けてもらいました。
家族や友人や「人脈ネット」をフルに使える私の強味です(笑)。
季節柄もありお茶箱の手前を披露してくれました。

準備も期間中も緊張しましたが、サロンを駆使して、「竹内さん」が、「奥様」が喜んで
くださるためにと、展示やお接待に頑張れたことは、私たちも達成感がありましたし、
サロンのにぎわいも嬉しいことでした。
加えて、道行く方々が興味を持って入場してこられたことも思いがけない収穫でした。
作品展の終わったあと、竹内さんが、目的達成でどっとお疲れがでないかと心配です。
この機会をきっかけに、より元気を出して頂きたいのが目的でしたから…(汗)。
天国の奥様、書道に人生と情熱を注がれたご様子を私もしっかりと拝見させて頂きました。
そして、多くの方々が作品を通して奥様を偲ばれましたよ。いい機会でした!!!
投稿
私が講座をさせて頂いている宝塚コープカルチャーで、春と秋に万葉の散策を
行っています。
第1回はもちろん明日香村。そして2度目に昨秋に山の辺の道(桜井編)を訪れ
ました。その後にアンケートをとり次回の希望地を訪ねたところ、山の辺の道の続き
と同じくらいの人気が「宇陀の阿騎野」でした。
季節も考慮して、宝塚からの時間的距離は遠いですが、拠点の故地めぐりと言うことで、
いよいよ5月23日に宇陀の里を訪ねました。
私たちが犬養先生の万葉旅行で体験させて頂いたのは、近鉄朝倉駅から出発し、狛峠を越えて
山越えをしながら「かぎろひの丘」へ到達する古代の「道」です。阿騎野が夕方の最終地点
でしたので、阿騎野と言っても阿紀神社とかぎろひの丘と、後の発掘の中ノ庄遺跡くらい
しか行ったことのない私でしたが、今回は「万葉の故地」と秋山氏が開いた「松山」よいう
町並みの歴史散策の二本立てが目的となりました。
下見は3月でしたので、殺風景な寒々とした光景でしたが、一転、季節の草花だけではなく、
青々と雑草の緑も美しく、初夏を思わせるような1日でした。
この花が、宇陀市の花、かざぐるまです。はじめて見ました。

近鉄榛原駅から、奈良交通バスで大宇陀へ。大宇陀のバス停留所が道の駅でもあるので、
ここが終点でもあり、発着の起点でもあります。

午前中は、大宇陀で発掘された行宮跡の中ノ庄遺跡へ。今は人麻呂公園と名付けられて
遺跡の上に、宮柱の再現や、古代の竪穴式復元住宅や、馬上の人麻呂の石像がシンボル
となって、画期的な歴史的事実の紹介がなされています。

そこから、阿紀神社へ。万葉歌碑がありました。そして、かぎろひの丘へ登り、
全員で東の方を臨みました。

もう40回と言う「かぎろひを観る会」の時にはにぎわうこの場所も、平日は誰にも出会う
ことのない、もったいないような静謐の丘です。
中ノ庄遺跡が発掘されるまでは、この丘で野宿をしていたのかも…と考えられていた
この場所には、書き下された佐佐木信綱さんの万葉歌碑が建立されています。
ゆっくり過ごした後、丘のふもとの今は大宇陀地域事務所となった(合併前は大宇陀町役場)
建物の隣にある中央公民館へ。ここには、中山画伯の「阿騎野の朝」という大壁画があり、
見学させて頂きました。
(その時に、山崎直子さんの朝顔の種まきの話を聞きました。)HP
そして、昼食は道の駅へ戻り、レストラン甘羅(かむら)で、人麻呂膳を賞味しました。
ネーミングのこだわりが感じられないフツーのお食事でした。(笑)
食後に地元名産のブルーベリーのソフトクリームを食べ、午後の散策に出発。
午後は、宇陀の里として今熱心に取り組んでおられる松山の街並み見学でした。
宇陀松山地区は商家町として、2006年の7月に重要伝統的建造物群保存地区に選定
され、奈良県で今井町・五条町の3つだけしか選ばれていません。
家、屋敷など建物の特徴の面白さや、もともと薬の町として賑わったことから、森野薬草園を
はじめとして、有名なお薬屋さんの発祥の場所として有名だそうでした。
森野薬草園は、吉野葛の加工・販売で有名ですが、また江戸時代からの広大な薬草園を
公開しておられるので、全員で1時間以上かけて、ゆっくり楽しみました。
来春は是非かたかごの群落もみてみたいな…。
時折、車が通る街道筋を散策して、かつて城下町の出入り口にできた黒門まで…。
全員で記念写真を写しました。

お天気にも恵まれ、予定の時間通りみなさんきちんと過ごしてくださり、私も気持ち良い
1日を過ごさせて頂きました。
現地で万葉の歌を味わい、歴史に思いを馳せ、その実体験をしているかのような臨場感は
万葉の旅の醍醐味です。
またの機会を約束しながら、春の万葉講座は無事終了いたしました。
交野市市制40周年の年度末最後の事業で、交野市に大輪の「万葉ロマン」の花が咲きました。
交野市は、大阪の北摂地域の1市ですが、枚方市や四条畷・寝屋川市などの隣接地域の知名度
から比べると、残念ながら「交野市ってどこ?」という反応が多いようです。
しかし、生駒山麓の北限に位置し、大和からくだってきた時に古代人が山沿い、あるいは
途中から淀川沿いに山城・北陸方面へ北上する「古代の道」が通っていたところであり、
平安時代には「交野が原」と呼ばれた、貴族の狩猟地としても記録に残る、歴史深い土地柄
です。
交野市の市花は、わが西宮と同じ「桜」ですが、なんと『太平記』の「落花の雪にふみ迷う
片野の春の桜がり…」の一節から、決められたとか。まさしく地元の所縁の歌から…の
格調高い選択にはうらやましい限りです。その交野市には、天野川が流れ、星田妙見宮、
星田神社、機物神社、逢合橋、など、七夕を彷彿とさせる「天上ロマン」あふれる地名・神社・
地名が実在しており、交野市は近年「織姫の里~今を紡いで、未来を織る~」をテーマに町作りを
進めてこられました。
中でも交野市民の一人である、毛利信二さんが、犬養万葉ファンであり、歴史大好き人間で
いらしたことから、「わが町交野のふるさと作り」について「万葉歌」への思いがあり、
「万葉ロマン」を発信するのに、万葉歌碑の建立に奔走されたり、私たちのコンサートの実現に
力を注いでくださいました。
昨年、私が揮毫させて頂いた逢合橋の歌碑の建立もその1つですし、何年か努力されている経過を
私もともに拝見してきましたので、何とか協力して交野市の「万葉ロマン」を伝えたい気持ちと、
長年の毛利さんの夢の実現に応えたい思いでおりましたので、ようやく今日の日が迎えられたことに、
私も大変感慨が深いです。
交野市市制40周年の記念事業ですので、「市民とともに行うイベント」ということで、
1部では、地元にお住まいの大手前大学教授の丹羽博之氏の講演会、2部では、交野市の有志の
子供たちによるキッズ・ミュージカル「交野ファンタジー2011」が上演されました。
ホームページの写真は、出演した子供たちと撮った記念写真です。
そして、3部で万葉うたがたりコンサートをさせて頂きましたが、いつものうたがたりファンの
方々に加えて、パナソニックのOB会の松愛会の方々も来てくださり、新年のご縁で、関心を
持って頂いたことをうれしく思いました。
歌は、万葉歌碑建立の記念に作った「逢合橋」や、憶良の七夕曲を中心にご紹介しました。
ちょうど、3月3日の桃の節句の日でしたので、交野市のマスコットキャラクターでもある
「織姫ちゃん」のお節句のような雰囲気もあり、織姫の里として、とてもよい機会でした。
おみやげに「織姫ちゃん」を頂き、ありがとうございました。
オカモのギャラリー笑倉院でまたご紹介しますね。
折からの春雨で、週間予報では1週間、雨のはずが、この日だけ守られた「晴天」で、晴れ女の
面目躍如! これもきっと犬養高気圧のおかげかな。
また、万葉故地で「万葉を歌うこと」が私たちの喜びですが、また新たに「交野の里」でも
足跡が残せたことは大変幸せでした。
今後も「交野」のふるさと発信に、積極的に応援、協力をしていきたいと思います。
またご一緒に交野を散策しましょう。
かつて犬養先生の書生のような存在であった山内さんは、私より4歳上で、青春時代を
同時期に過ごしたと言っても過言ではない。
山内さんは阪大の万葉旅行の会の委員もされたが、後は犬養先生の著作物のお手伝いを
されたり、先生が亡くなられた後は、今では犬養先生の資料の管理者として、いまだ今日
建立されている万葉歌碑などの建立協力や情報収集を熱心に続けてくださっている。
その中で、今年6月に上梓された『万葉こころの風景』は、今までの共著本ではなく、
山内さんが書きためられた記事や原稿をもとに、犬養先生と『万葉集』を通して、時代や
体験や歴史も含めて、そこから見えてくる犬養先生の功績や姿などを語る「犬養万葉の
記録集…」と著作の帯に記されている。
多くの著作物がある中で、初めての山内さん個人の出版物ということで、「ぜひお祝を…」
という声があがり、頼まれた私は安請け合いして友人代表ということで、発起人を引き受け
2か月前から準備にかかり始めた。
TSUBAICHIを会場として開催させて頂くことと、私の独断の準備・演出で行う
ことになり、ともかく山内さんの空いておられる日を押さえ、出版記念「講演会」依頼を
承諾して頂いた。そしてそのついでに祝賀会もやりたい旨を伝えたところ、山内さんから
できるだけささやかな会で…と言われて、私の方から親しい方を中心に案内状を出させて
頂いた。出席者は46名、加えて当日参加できないけれど、お祝いの協賛金参加の方々が
17名と、多くの方々の参加を得て、記念品としてプレゼントしたのは、これです!
みなさんからお志を強制徴収しておきながら(汗)、その予算で何をプレゼントするか!
いろいろ考えた結果、やはり「犬養先生」関連のものを考えた時に、「揮毫歌碑」しか
ない!と思い構想を練り、サロンの山寺さんと相談しながら辿りついたのが、このミニ万葉歌碑。
そして皆さんから頂戴した予算内で作ることができた。
石の産地は、宮崎県高千穂地方。石名は、学術名が、紅廉石片岩。珪質頁岩で広域変成作用
によって出来た変成岩の一種だそうで、いかにも私たちの選んだ、赤いきれいな石である。
そして揮毫の歌は、穂積皇子の巻16の歌。
「家にありて 櫃に鍵さし おさめてし 恋の奴が つかみかかりて」を選んだ。
いくつか私も犬養家から色紙を預かっているが、まだ建立されていない歌が望ましいことや、
山内さんにふさわしい???内容であるとして、「これやん!」
出席者へのコメントとして、男子校の教諭であろうとも女子学生にときめくことがあった
時に、この歌を思い出し、「恋の奴」を櫃に閉じ込め、鍵をかけ、身辺をしっかり守って
頂き、内柴選手のような不名誉なことのないよう、ストイックな人生を送って頂くべく、
老婆心からこの歌を…とご紹介。
ユーモアを感じて頂ければ幸いでした。山内さんはどう思ったかなあ(笑)。
遊び心もあり、みんなで除幕のひもを引っ張って…。楽しい!
小さくても重さが7~8キロあるので、翌日私が車でうやうやしくお届けさせて頂いた。
ホームページのトップでも報告したが、土の上に設置して初めて認定歌碑となるそうだ。
当座は、山内家の床の間に飾ってくださるらしい。その後は山内庭園に設置されるかも。
その時は142番目の犬養先生の万葉歌碑として、みんなで見学に行きましょう!!!。
TSUBAICHI恒例のバス旅行は、晩秋の近江路をテーマに選びました。
サロン告知でもみなさんに呼びかけた通り、カルチャーで琵琶湖周航の歌の人気が高いことや、
3年前に建立された犬養先生の「夕浪千鳥」万葉歌碑にお連れしたかったこと、また
中西講座でおなじみの「和歌」の歌枕としての故地が多いことで、「近江」に行くことは
早々に決めていました。はじめは「琵琶湖」を中心に考えていたのですが、下見も含めて、
日帰りのバスコースとしては少しハードでしたので、絞った結果テーマを「近江八景」とし、
新たに2景「近江牛」のランチの場所、旧大津市公会堂と、犬養万葉歌碑を加えて10景と
した次第です。
11月30日、例年の紅葉時期が遅れて、ちょうど見頃の予報。やったあ!
そして、滋賀県は寒いと思って防寒着に包まれて出かけたところ、コートも着ずじまいの
暖かさ。私たちは本当にいつも守られています。
近江八景も開発や、琵琶湖の湖岸整備でもはや特定できないところがあり、苦労もあり
残念ながら、「矢橋の帰帆」はパスしました。「粟津の晴嵐」は松並木の面影の道路を
バス見学でした。
比叡山は周辺から角度を変えてよく見えたのですが、比良山は遠方が霞んでいたせいもあり
よくわかりませんでした。きっと冠雪するとよくわかるはずです。
あとの7か所はゆっくり楽しみました。
特に石山寺、三井寺は紅葉の名所で、うっとり心が和みました。
柳ヶ崎公園の犬養先生の揮毫の万葉歌碑は、柿本人麻呂の歌
「淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ」巻3-266
で、3年前には本碑のみでしたが、今回は副碑も建てられて日本語のみならず中国語・韓国語の
説明もなされていました。琵琶湖岸を背に、波の寄せる音を聞きながら、水鳥(鴨?)も
飛び交い、大変抒情あふれる場所です。しかし、護岸工事が傍まで迫り、風情のない板塀が
張り巡らされていましたので、びっくりしました。
「先生、こんにちは!」
でも私は久しぶりに来れたこと、また多くの方にご紹介できたことがとても満足です。
いつもサロンのバス旅行は「おむすび弁当」が定着しているのですが、今回は少し贅沢も
と、名物「近江牛」を少しでも味わって頂こうと、スープ・サラダ・コーヒー付きの
ビーフストロガノフにしました。
「探さないとお肉がない!?」なんて言われましたが(笑)、山寺さんと悩み相談した
結果ですよん。個人の嗜好や、ステーキ系は量・カロリーなどに重い人もあり、カレー
のようにご飯と食べられるのなら…と無理やりお願いして1プレートランチにしてもらいました。
(気遣いのTSUBAICHIです!!!)
「夢に見た ささなみの里の 近江牛 居群れて食めば たのしくもあるか」ヤカタ作
石山寺・三井寺の広大で紅葉の素晴らしい境内を散策するのもよかったのですが、やはり
琵琶湖を見たい。古代の人が「海」だと思った偉大な湖を実感したい…気持ちは強いです。
今回は大津周辺だけでしたが、いつか琵琶湖を一巡りして、自然や表情の違う琵琶湖の
湖岸ごとに景観を味わいたいものです。
「堅田の落雁」の情景は、満月寺の浮御堂が素敵です。月見の名所でもあり芭蕉が
「鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂」という句碑が、何と琵琶湖の中に建てられていました。
雁ならぬ、鴨やゆりかもめが湖上に浮かんでいました。いい感じ…。
近江八景は、「暮れ時」の景色が多く、また石山寺や三井寺も琵琶湖を臨み月を愛でる高台
があります。琵琶湖の水の景色と夕焼けや月などの風情が本当に素晴らしかったのでしょうね。
「日暮れ」が早くなっている11月後半でしたので、1日が早く、帰りはもはや暗くなって
いましたが、晩秋の近江路を満喫できたのでは…と自負しています。
みなさま、ご参加本当にありがとうございました。
素人でもいかが! シャッターチャンスの自慢作をご披露します!水の鉢の中の紅葉です。
今年はわが町「西宮市」とご縁があり、7月の宮水学園塩瀬教室講座、そして10月の西宮
まちたび博のまちあるき「まんにょう」、そして、11月9日に、宮水学園の本部での講座と、
3度も地元西宮市で『万葉集』に関わるお仕事をさせて頂きました。
4月にコンサートをした大谷美術館も西宮市の施設です。
各地で、万葉うたがたりコンサートをさせて頂いたり、日本の万葉の故地で歌わせて頂く
ことは、本当に幸せだと思っておりますが、また、私が常々地元に対して思っていたことは、
犬養先生が西宮市市民文化賞を受賞された後、西田公園には万葉植物園が整備され、犬養先生
の揮毫による万葉歌碑も建立されました。地域的に『万葉集』とも関わりの深い西宮市ですので、
何とか私も『万葉集』をアピールできないか、地元の方々にお話しする機会はないかと
思っておりましたので、今年は特に多くの機会に恵まれ、ありがたいことでした。
宮水学園では、過去何回かお話をさせて頂いていますが、受講者も変化し、もちろん
担当者も変化しますので、毎回「新たな機会」です。
西宮周辺の万葉歌のご紹介が中心になりますが、やはり古代の人々の「心の厚み」が
ぐっと伝わるような万葉歌をぜひとも知って頂きたく、今回は「祝婚歌」や新年に向けて
「いやしけ吉事」などをご紹介致しました。
このたびは「ふるさと」コースの講座だそうで、先月は薄田泣菫の「西宮と文学」と伺い
ました。100名位の受講生のみなさんはとても熱心に聞いてくださり、うれしかったです。
担当の女性が、『万葉集』を歌われるということで、お琴や三味線で奏でる音楽かと
思っていましたと…あとでの感想。やはり『万葉集』の潜在的なイメージは若い人にでも
そう思わせるのですね。私の歌で『万葉集』の感性をもっともっと伝えていきたいと強く
思ったことでした。
「西宮」も重要な古代の交通路…ということで、受講の方々はご納得頂けたことと思います。
さて、来年も地元「西宮」へのアプローチを頑張ります。
そのために2003年から5年間続けて「西宮」で万葉うたがたりコンサートを自主的に行った
のですが、やはり行政の「よびかけ」がないとむづかしいのかな。ふむ!悩ましい問題だ。
仕事場から出るときれいな夕焼けでした。お月さまは三日月。
いつもは車か自転車で向う犬養邸に、久しぶりに、本当に久しぶりに阪神電車の久寿川駅から
歩いて行きました。
駅舎もきれいになって変わってしまったけど、犬養先生と共に何度も歩いた懐かしい場所。
てみやげ?(お供え)の「うなぎ弁当」が、妙に楽しくて…。
時間は遅くなってしまいましたが、いつもながらに「おかもで~す。」と訪問。
床の間に神棚が設けられて、犬養先生の御魂がおられました。
まもなく山内さんが来られ、吉本さんご夫妻と4人で楽しく談笑。
犬養先生の話も、この4人ではつい昨日のような出来事のように、話に花が咲きました。
しかし、もう満13年が経ちます。
山内さんは、つい昨日仙台の出張から帰ってこられたばかり…。
東日本の被災地で、気になる多賀城へも回ってこられたようです。話では想像以上の
被害状況です・万葉歌碑のある、市役所も建物そのものが危険で、近づけないとか。
がれきと、放置された車、人の気配のない商店街…といまだ荒廃したさまのままに
あらためてショックだったとおっしゃっていました。
宮城県に近い岩手の大船渡市。そこの復興のシンボルであるお菓子をおみやげに持って
来てくださっていました。「かもめのたまご」です。
目が悪かった犬養先生なら、本物の卵…と間違えられそうな和菓子?洋菓子でした。
お供えをしてから、さっそく「お下がり」と言って、「いただきま~す。」
犬養先生は、生涯で関東大震災と、阪神淡路大震災と、2つもの大きな震災に遭遇された
稀少な体験の持ち主ですが、それでも「生かされた」ことで、私たちに貴重な体験談を
残してくださいました。それを「語り部」として、山内さんが著作で私たちにも伝えて
くださっていますが、山内さんもまた、阪神淡路大震災で被災した当事者として、また
個人の立場から、一歩踏み出して高校の教員・教育者として、教育機関の震災対応の
メンバーとして、活動を始めておられます。
犬養先生もきっと、「山内君、頑張ってね」と応援しておられることでしょう!
犬養先生がお元気だったら、東日本大震災に何を思われたことだろうか…と思います。
日本の環境破壊は海岸線から始まりました。
その日本の海岸線に多く建てられた原発の設備。天災によって起こるべくして起きた
「人災」に、きっと黙ってはおられなかったはずだと思います。
万葉の「祝島」のニュースを見るたびに、古老が犬養先生と重なります。
今もなお、人間は「風土」とともにある現実を、私たちは実感させられています。
楽しい時間を過ごしました。先生も団欒に加わっておられたことでしょう。
今週は、高岡万葉まつりです。頑張って朗唱してきます…と誓いました。
1か月前の7月7日に建立された、交野市の万葉歌碑。
私のブログや、お尋ねもあり、時々みなさんが訪ねてくださっていることを知り、本当に
恐縮と言うか、しかし、そうして交野が原へ出かけてくださることをうれしく思います。
奈良での大和路を歩く会の講演後、「織姫の里、天の川星まつり」のお誘いを頂いていたので、
すぐに私は、交野へ向かいました。
会場は、歌碑の建立された逢合橋から天野川に沿って上流へ向う道筋の河川敷が、
出店や、イベント会場や、七夕飾りの工夫をされた、市民の広場でした。
中田市長ともご挨拶できました。ドイツビールで乾杯!美味い!
旧暦の七夕は、夏休みの最中ですし、お天気も安定していて、2日間のお祭りの設定は
正午から午後9時までの長丁場ですが、本当に暑い盛りの時間にも交野市民?たちが
多く集まっておられました。
歌碑の建立で尽力された毛利さんにご案内頂き、お祭りの内容を説明して頂きました。
七夕飾りは、川沿いの遊歩道に飾り付けられ、色とりどりで華やかです。
また、河川敷や、歩道沿いに夜のロマンチックなイベント「光・ろうそく」の準備が
できていて、川にはLEDの天の川が出現し、LEDのボールが水面を流れて行くそうです。
幻想的な、七夕イベントの演出ですね。
またオカモが、やってます。彦星がいな~い! だって織姫の里だもん???
今回、「七夕市」実行委員会の毛利さんに、地元の手作りの技や、個性の世界をしっかり
レクチャーして頂き、1つ1つしっかり拝見しました。おかげで、いろんなところで物品を
購入することに…(汗)。
アンケートがありました。「あなたはいくら使われましたか?」
はがき 56円が5枚で、280円
河内ふうりん 2000円
ブリザードフラワー 1200円
ホトトギスキーホルダー1200円
シュシュ 400円
ゴム 200円
タイガースホルダ- 700円
ブレスレット 300円
合計、6280円でした。貢献しましたね!!!
でも私も歌碑が交野市民ですので…。 おかげで、すっかり日焼けしてしまいましたけど。
もちろん、暑さとセミの大合唱と、早朝からの青空に、8月の実感を感じます。
でも昨日で、閉じた1週間の交流展に、達成感と感謝と誇りと感慨を覚えながら目覚めた朝は
とても心地よく感じます。
高岡市万葉歴史館でご存命の時から、名誉館長として大事にして頂いた犬養先生。
今回も、西宮市のお家から参加協力ということで、イヌカイクン(人形)が、会期中
共に臨席してくれていました。
関西で、大阪で、オカモのサロンで…と言うことで、歴史館の展示品に犬養万葉歌碑の原本
を出品して下さったり、伊藤銀蔵さんの懐かしい写真パネルを飾って下さったり、私たち
犬養ファンに対するご配慮も大きく、本当にありがたく思いました。
犬養先生もきっとこの交流展を天国から見守っておられることだろうと思い、イヌカイクンに
参加してもらいました。
先生、1週間お付き合いありがとうございました。本当に立派な価値ある展覧会ができて、
私は誇りに思っています。先生もきっと「これを見逃した人はかわいそうだねえ」と
おっしゃる声が聞こえてきそうです。(笑)
緊張とドキドキで始まった交流展。本当に充実した時間を過ごしました。こんな大きな
プロジェクトをすべて山寺さんと二人、阿吽の呼吸で!?こなすことができたのもありがたい
ことでした。いや、ベースに皆様の参加協力があってのことですよね!
でも行事を行うたびに、私たちと、お付き合いする人間関係の本質が見えることも事実です。
一人でも多くの方に参加してほしい、見てほしいと思いますが、私が「この人には来て
ほしいな!」と思う方は必ず顔を見せてくださるので、世の中よくしたものです。
「高岡」について言えば、確か犬養先生と毎年熱心に行っていた人が、先生が亡くなられた
時から「犬養先生がもうおられないから行くこともなくなった。」と言う人が何人か
いました。私はその時は「なんで?、そんなことは高岡行きと関係ないやん。」と思いましたが、
犬養先生だけに惹かれて行動していた人たちを見ていて、先生は、「僕はもう行けなく
なっちゃったけれど、皆さんはこれからも毎年高岡へ行って、万葉のふるさとを僕の分も
大事にしてくださいね」とおっしゃっているように、余計強く思うのです。
本当に高岡は素晴らしい万葉の故地です。
1週間だけでもTSUBAICHIで、ささやかながら「高岡市万葉歴史館」ワールドを
開くことができたことを心からうれしく思いました。
高岡市長様はじめ、万葉歴史館の方々のご協力とご厚意に心より御礼申し上げます。
もったいなくて、会期中にブログで作品を紹介することはわざと控えていました。
万葉歴史館の屋上庭園にある、立山連峰を望み建立されている万葉歌碑の揮毫書です。

七夕まつりが終わり、町内や実行委員会の方々が、ササや、ライトアップの竹の撤去を
しておられる最中で、その道路に邪魔ながら、割り込んで駐車したせいもあり、実行委員長の
佐武さんや、事務局長の吉坂さんにもばったりお出会いしました。(汗)
準備や、あとかたづけや、暑い中本当にご苦労さまでした。
来年からは微力?邪魔かもしれませんが、私も参加してご協力したいと思います。
さて、肝心の歌碑の説明が後になってしまいました。
万葉歌は、
「彦星と 織女が 今夜逢う 天の川門に 波立つなゆめ」巻10-2040です。
作者未詳の七夕歌ですが、この歌を選ばれたこだわりがあります。
七夕歌がたくさんある中で、「おりひめの里、交野」で、「天野川にかかる、逢合橋」に
建立されることから、「牽牛」「織女」「天野川」の3つのキーワードが詠まれた歌に
絞られ(長・短歌合わせて3首あります)その中の逢合橋を思い「逢う」歌を選ばれました。
私が選んだのではなく、地元の方々の「この1首」でした。
書き下しとは言え、書きにくい文字が多くて、そうでなくても危うい即席書家の私には
大きなプレッシャーでした。
また、積極的に「絵画」の力で、各地、各所でボランテイア活動をなさっておられる真和子
さんとおっしゃるお若い素敵な画家のご協力で、歌碑を見た人が思わず微笑むような
「牽牛と織女」の絵を描いて下さり、彫りこまれました。
「絵のある万葉歌碑」は、世界でこれが初めてだそうです。…と思います!!!
犬養先生が、万葉研究者として歌碑の揮毫は「白文」にこだわられたことも納得です。
そして、万葉愛好家の門下生岡本は、これからの若い次世代に受け入れられるように、
書きしの万葉歌にしました。そして、イメージの湧き上がる「ロマンチックな絵」も
添えられた新しい万葉歌碑は、交野市の市制40周年記念の事業として建立されましたので、
私も新たな「万葉発信」のお手伝いができたことを本当にうれしく、光栄に思っております。
万葉歌碑研究家の中西さんによりますと、2050基目の万葉歌碑は、大阪府で34番目だとか。
一生に一度の幸せ体験をさせて頂きました。
両親も半信半疑! 見た後も半信半疑かも。「音楽」「万葉集」好きなことをさせてもらい、
物心ともに投資、援助してくれた両親に孝行ができたかな。
娘の人生を納得してくれていることと思いました。





