冒険ではありましたが、「オルガンが弾けるかどうか!」逡巡しながら、仁川教会へ
行ってきました。
年初からの体調不振は本意ではなく、2月には気分一新がんばろう!と思っていましたら、
2月初日の1日が、カトリック教会の信心の初金ミサの日でもあり、これって私は神様に
見守られているのか、試されているのか。
ともかくミサに与ることを思い、オルガンが最後まで弾けるかどうか、とっても不安では
ありましたが、とりあえず奉仕は果たせました。
水浦神父様のお説教が、ちょうどキリシタン迫害の26聖人殉教の日(2月5日)が近いことも
あり、2月1日のきょう、佐賀県唐津あたりを通過している殉教者の中でも、最年少12歳の
ルドビコ茨木のお話をしてくださいました。
そうそう、2月5日は26聖人殉教の記念日の、その大阪カテドラル教会で、弟夫婦が結婚式を
あげた我が家の記念日でもありました。
いたいけな少年が殉教という、この世の命より永遠の命を選択した信仰の強さに驚かされ、
感銘を受けますが、そのお話を聞きながら、私は昨日結果報告の出た、大津市の中学生の
いじめ自殺事件をふと思いました。
少年が「死」に追い込まれていく経過を知り、途中でどうして救ってやることが
できなかったのかと、親、大人世代として本当に責任を感じました。
また残念ではありますが、ルドビコ少年のように、彼は現世ではなく永遠の命を求めたのだ
という思いにもかられました。
今はきっと天国の神様のもとで安らぎを得てくれていることでしょう。
「痛い」「つらい」「くやしい」毎日いろんなマイナスの気持ちが交差する中で、
大震災の中生かされたことや、今までが、心も体も順調に過ごすことができる日々だった
ことを思えば、こんなことくらいで弱音なんかはいている場合じゃないことを反省。
やっぱりミサに与ってよかったと思いました。
聖歌隊席の私のオルガンの横で見守ってくださっているコルベ神父様のお像です。
きょうのところは、「まあまあ、合格!」と言ってくださるかな…。
しかし、「痛い…」!!!!!
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頚椎ヘルニアのことをお知らせして、いろんな方からご心配を頂き、
本当に申し訳ありません。また、ありがとうございます。
激痛の発症から10日ほどになりました。21日にようやく整形外科で診断を受け、
先週は毎日のようにリハビリに通って少しずつではありますが、しびれや、痛みが
ましになってきたかなと思います。
利き手である「右手」を使うことが苦痛ですので、指や腕を使わなくてもできることを
やるようにしています。
もっとも大変なのは家事かも…ということで、一段と「手抜き」がひどくなりました(笑)。
弱り目に祟り目とはよく言ったもので、体調と並行するように、サロンの私のパソコンの
トラブル発生で、1月14日からただいまパソコンもメーカーに入院中です。
私が手の不具合でパソコンを打てないのはともかく、パソコンがサロンにないと言うのも
由々しき状況です。メール連絡は転送システムも利用しているので、めったなご迷惑は
ないと思うのですが、やはり私以外のスタッフも作業に利用していますので、まったく
不便なことです。
ただいま、私の私用で移動するときなどに使っていた12インチの小さなモバイルパソコンが
代用で私のオフィス机にあります。これでまた目が悪くなりそうですが…。
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ということで、サロンでは山寺さんに余計な負担をかけながらではありますが、
業務は続けています。しかし寒さは神経痛に応えますねえ(笑)。
「痛み」ということについて、心の傷みや人の持つ「心の傷」は、自分も同じように受ける
ことによって初めて理解ができたように、肉体的苦痛もまったく同じだと思いました。
長年、そして今もなお、手足の神経痛に苦しめられている母も、傍で見ている限りでは
一見元気そうですし、体のひずみは体重過多や運動不足からくる衰退ではないか…なんて
批判していましたが、それに伴う「痛み」については、母の言葉からでは想像ができなかったし、
また大げさに言っているのかも、などと他人事のように思っていました。ごめんなさい。
今私も受ける「痛み」は、自分でうまく表現できない「不快」なものです。
検査もリハビリも苦痛だし、また物事に集中できないとか、「痛い」とか「苦しい」と
言うのは本当につらいことなのだと、初めて思い知りました。
このたび、整形外科の話題がようやく共通となって、今更ながら両親をももっと労わって
やらなければいけなかったなあと反省をこめ、あらためて思っています。
そしてわたし、ただいま左手でパソコンを打っています。
首、背中、腕は痛いけど、講座も行けますし、土曜日には、奈良ホテルの出版祝賀会に
参加してきました。昨日は山口ひとみさんと攝津本山のライブハウスに行ってきました。
できることはやらなきゃ!・・・という日常です。
病は気からと申しますが、健康だけが取り柄と豪語してきた私ですので、さすがに体調
不良で気が滅入ってきているのも正直なところです。
これも「試練」と思い、乗り切りたいと思います。

親の加齢を心配する前に、自分の「老化」というのか、年齢とともに
思いがけない故障がでてくることに、覚悟はありながら、思い知らされることの
残酷さに腹が立つ。
この文章も「弁解」には違いないが、年初から体調の不定愁訴が、「頚椎」にあった
ようで、先週から急激に右手の痺れから、けだるさと痛さの不快感で、とうとう
パソコンうちができなくなってしまった。
これだけではなく、今は「腕」に響く「手先の雑事」がつらくて、右手ゆえ困ったことに
なった。昨日かけこみで診断を受け、頚椎に原因のあることがわかった。
「痛み」はともかく物事に集中ができない。
家にいてもサロンに来ても、まさにでくのぼう状態で、役に立たないことこの上なし。
みなさんからのメール返信滞りかけました。ごめんなさい。
FBは必要に応じて…。
ともかく今は腕が苦痛なので、昨日の診断通りに整形外科の指示に従い治療とリハビリに
通って、症状を和らげることが先決だ。早くおさまりますように…。
しかし「なんで!」と思うようなことが起こる年代になったというのが、現実なのだろう。
現実を受け止めつつ、いかに共存し、自分をもたせるかが、問われる時期なのでもあるの
だと思う。
まわりのみなさんに迷惑をかけつつ、協力を仰ぎつつ、がんばります!
(左手でパソコン打ったぞ!)

阪神淡路大震災の18年目の今日、亡き人を思う。
同級生のお嬢さんは、娘と同じ年だった。ピアノの生徒さんのおばあちゃんや、
甲南女子大学の犬養ゼミのお仲間のご両親や、身近な「悲しみ」を私も間近で
体験してきた。つくづく私や、家族が幸運にも生かされたことの「重み」と感謝を
思わずにはいられない。
その今日、私が昨年あとから訃報を知り、思いがけないお別れをしてしまったお二人の
ことを記しておきたいと思う。
お1人は、作曲家で、シンセサイザー奏者の東祥高さん。ご本人の意思ですぐに世間には
公開しないとして、新聞の訃報欄では亡くなれて2ヶ月経った12月に公表された。
東さんは、かぎろひの里、大宇陀のご出身で、平成8年の「かぎろひを観る会」でお親しく
なった。それまでも文書やお手紙で『万葉集』についてのお尋ねや、私たちの活動を
聞いてこられたり、やりとりはあったので、存じ上げていた。
私もかつてフォークバンド「5つの赤い風船」のメンバーだった東さんが、脱退・独立
してシンセサイザー音楽をやっておられることを知っていたが、ご縁ができるなんて、
夢にも思っていなかった。
平成8年は、「かぎろひを観る会」に、私たちはゲスト出演させて頂いたおかげで
東さんやスタッフの方々と一緒に食事をしたり、地元のペンションで仮眠するまで
ゆっくり過ごさせて頂いたので、東さんの人となりを知ることができたように思う。
その頃も、ヘビースモーカーで、食事は好き嫌いが激しくて、お酒はとても好きな人
であることはよくわかった(笑)。
そのことが直接のきっかけとなり、東さんが地元の依頼を受けてCD「かぎろひシンフォニー」
を制作される時に、私の「阿騎野寒暁」の歌も挿入したいということで、東さんが編曲され
た。
それを万葉うたがたり会が歌唱するということで伺った、東さんの音楽スタジオが
なんと今のTSUBAICHIの大淀南の町内のマンションだった。
まさかその近くに今私たちがサロンを構えようなんてつゆ知らず…の頃。
東さんは、犬養先生のイベントで大阪城ホールで行われた「一万人の万葉衆」の
オープニングで演奏されたり、私も何度か大きなイベントでもご一緒させて頂いている。
そして、2010年の平城京遷都1300年記念イベントで、「平成の歌垣」という歌垣を
ベースにした音楽劇があり、私も歌博士という役で1週間出演させて頂いたが、
企画からシナリオをおこす前から、シナリオ作家と演出するイベント会社と東さんが私の
サロンに何度か足を運んでくださり、「万葉歌」の選定と、曲想などについての相談に
私も関わらせて頂いた。
そして遷都祭のオープニングイベントとして行われた「平成の歌垣」は、大好評だったが、
音楽担当でもあり、全部の作曲を手がけられた東さんは、何と「意に沿わない」仕事と
公言し、終始私にも不機嫌だったし、特に私の出演に関しては、素人のくせに…と
いやだったようだ。でももがんばりましたよ!
そして昨秋、思いがけなく平城京の天平祭で、2年ぶりに再演された「平成の歌垣」。
私の再出演が決まり、1回目の顔合わせの10月に、1週間前に亡くなられたばかり・・と
東さんの訃報を知った。信じられなかった。
2年後の「平成の歌垣」の再演が決まったことで、私はまた東さんに辛口で皮肉なイヤミを
いっぱい言われるだろうな…と思っていたが、反対に、この時期に再演のこの機会が
めぐってきた事の偶然に本当に驚いた。
結果はブログで記したとおり、当日は、めずらしい大雨で、結局出演者のラインナップ程度の
「中止」状況だった。
残念だったが、東さんの涙雨なのか、全力でイベントを阻止されたのかよくわからない。
しかし、確実に亡くなられたばかりの東さんを偲ぶ大きな機会であった。
東さんは『万葉集』を素材に歌う人が増えていく中で、私を評価してくださっていたようで、
いつも本当に辛口ではあったが、細々と個人で万葉活動をする私を信頼してくださっていた。
本当に思いがけないお別れに、切なさがこみ上げてくる。
12月29日の早朝、大宇陀では41回目のかぎろひを観る会があった。
いつもロングコート姿で、かっこよく参加される東さんの姿はもう見られない。
新春のTSUBAICHIでは、東さんとの思い出の多い、「かぎろひ」の写真を飾った。
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そしてもうお1人のさようなら…は、万葉スケッチ画家の冨田利雄さん。
奥様からの喪中はがきで知った。
油絵の前衛的な画風から一転、万葉故地の繊細なスケッチ画で、冨田さんの万葉故地世界を
作り出された。
私も万葉歌のCD制作で、最初の「恋歌vol1は、冨田さんの「二上山」のスケッチ画で…と
こだわり、冨田さんの個展で購入した「絵」をもとにジャケットに使わせていただいた。
その後も犬養万葉顕彰会で、テレホンカードを作成させて頂いたり、「万葉の仲間」として
長いお付き合いだった。
お目にかかる機会も少なくなり、時々「お元気かな…」と思い出してはいたが…。
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お二人にこれまでのご縁とご厚情に感謝しつつ、サロンで私の追悼をさせて頂いている。
ありがとうございました。またお目にかかるまで…。
私には、CDでお二人の音楽と絵が残りました。永遠に。
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朝、時計がわりにつけているテレビで、「おはよう朝日です」「モーニングバード」の
時間帯に自宅を出る。
私は普段もニュース番組以外はほとんど見ないので、私にとって貴重な視聴番組であるが、
モーニングバードの木曜日の社会や政治を検証する「タマペディア」と生き方の素晴らしい
女性紹介の「Gウーマン」のコーナーが特に好きなので、木曜日は録画準備をして出かける。
すぐに録画を見る時間がないので、雑時間にこま切れで確認するような状況だが、年始の
1月10日のGウーマンは人形アニメーターの真賀里文子さん(76歳)だった。タイトルは
「1コマに賭ける情熱」で、作品にコンタック600のカプセル君だったり、いくつか見かける
CMのキャラクター的なシーンを見て、「みたことある!!!」と思いながらテレビを見て
いるとなんと思いがけない場面が出てきた。
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真賀里さんの15年くらい前の写真???かしらん。TV画面に現れた制作中の人形は、なんと
五島列島福江島の三井楽町に遣唐使ふるさと館開館のために発注された「遣唐使ものがたり」の
人形だった。「お~っ!この人が作ったのだ。」
そして、76歳の今も自慢にされている成功例として、遣唐使船が荒海を航海する様子を
表すのにアニメーションで「波」をいかにつくるかの創意工夫だった。
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今は五島列島の離島で初めてできた「道の駅」として、紹介されている遣唐使ふるさと館だが、
五島市に市町村合併されるまで、福江島でひときわ光を放っていた「三井楽町」。
万葉の故地、最西端の「みみらくの里」として、地元の増田さん(故人)や犬養先生を中心として、
万葉の里づくりの頃から私も存じていて、集大成のような形で遣唐使ふるさと館ができた
時のうれしかったこと。そしてここを中心に、万葉フォーラムも2度開催され、私たち
万葉うたがたりコンサートの機会も数回経験している。
遣唐使ふるさと館の目玉は、この遣唐使ものがたりと共に、『万葉集』の左中に「みみらく」
という地名が出てくる山上憶良の志賀の白水郎(あま)の荒雄の歌、10首をドラマチックに
描かれた「荒雄」のアニメーションで、道の駅となった今もなお、万葉シアターは健在で
(本当によかった!)多くの方に見て頂きたい素晴らしい作品だ。
真賀里さんというご婦人は初めて知ったが、私たちの執着する万葉故地のための作品を
手がけて下さった方の紹介をたまたま見られたことが、大変うれしかった。
三井楽町は平成の大合併で17年に五島市となり、三井楽町の1町の町おこしはその時に
終わりを迎えた。
万葉フォーラムで全国の万葉ファンが集い、会場ともなり、賑わった遣唐使ふるさと館も
当時、地場産業の起業としてはじめられた「地ビール」も評判だった。
東京からシェフを迎え、五島牛のレストランもあり、夢のような賑わいだった。
その後、福江島の港も整備され、立派な商業施設となり、遣唐使ふるさと館にあふれる
名産品や、おみやげものも次第に減って、数年前個人的に訪れた時に、「道の駅」という
ネーミングも少しショックだったが、設置された地ビールのタンクは錆つき、あまりの
変わり果て様に、「平成の大合併」が何が地方分権のための政策の一つなのだ!と矛盾に
腹が立った。合併に同意することで、その時の地方の負債をチャラにするだけの「飴」だった
ことを如実に思い知らされたのだ。
万葉うたがたり会のメンバーは、口をそろえて、演奏をさせて頂いた万葉故地でもっとも
思い出深い、素晴らしい印象の土地だと言う。
奈良女子大学の大学院在学中に、現役生の岐宿町出身の洗川志穂さんに出会い、よく五島の
話をした。その彼女も五島に戻り、市役所に就職をして働いているようだ。
お正月に、仁川教会の水浦神父様が、「今年福江島で献堂100年記念の教会行事があります。
岡本さんもお誘いしましょうね!」と言って下さった。
本当に是非時間を作って何かの機会に五島列島、福江島へ。そして三井楽の町を訪ねたい
と思っている。
白良が浜には犬養先生の揮毫された大きな歌碑があり、三井楽を守っていてくださる
犬養先生にも会いたいもの…。

2012年の12月31日に届いた宅配便。
外出先から戻ってきて気付いた不在票に「だれかな…」と送り主を見てびっくりした。
まさか…とすぐに娘に連絡をし、ドキドキしながら再びクロネコ便が届くのを待つ。
夕刻に再配されたのは、娘が10年間アルバイトをした京都の京料理の店「ほんざわ」の
大将からの冷蔵便。
思いがけない大将の決断で、8月にお店を閉めて、郷里に近い東京へ新天地を求めて
人生の方向変換を図られたことは8月のブログにも書いた通りだ。

例年、おせち料理を京都のみならず、宅配で各地に提供してくださっていたので、
我が家も「ほんざわ」のおせちで新年の祝膳として重宝して楽しんでいた。
本澤さんの人生を考えた上で、閉店は納得できたものの、「おせち」については、
はて次のお正月からどうしたものかとそのことが気にかかっていた。
娘を経由して注文していて下さった方々も、本当に残念がってくださり、岡本家も多くの
ファンも途方に暮れた2013年の「おせち」だった。
我が家もとりあえず準備はしたものの、ホンザワのおせちにはかなわないことを承知で…(苦笑)。
そこへ思いがけず大晦日に届いた大将からの「おせち」便。
すぐに娘に写メールで添付し、電話連絡。受話器の向こうでは超感激で涙声の娘。
口下手で、口数の少ない大将は、閉店の大事も淡々としたもので、娘をはじめ、長年
お客様として付き合われた方でも水臭いと思われるほどのあっけないお別れだった。
そしてその後、本澤さんの望み通りのお仕事が決まられたのかしら?とか、
どうされているのかと気にかかっていたが、娘も連絡が取れないままだったようだ。
その本澤さんが、最高のプレゼントで私たち家族と娘に心配りをしてくださったことに、
驚きとうれしさと、感謝と思いやりに…言葉にならない感情が私にも駆け巡った。
娘もホンザワで正社員でもなく、お運びのアルバイトの一人にすぎない存在だった。
ドジをしては、大将に怒られながら、またいろんな社会勉強の場として鍛えて頂いた。
こちらが感謝こそすれ、今では料理人としての環境ではない大将が、縁の無くなった今、
いつものように、手のかかったおせち料理をプレゼントしてきて下さったことに、
娘が大将と出会えたことの幸せや、しっかり培われていた人間関係の素晴らしさに、
私も娘も一生忘れられない「感涙」の大晦日となった。
一人っ子である娘が、離れていても、よき出会いによって、こうしていろんな人に
可愛がられながら、支えられながら成長してくれることを本当にありがたく思う。
私の大好きな「出会い」の素晴らしさを実感できた出来事でもあった。
良かったね。さあ、私たち家族は本当にいいお正月が迎えられます。
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どうです。このゴージャス! 本澤さん、ありがとうございました。

日本の何とも理解しがたい衆議院議員選挙が終わり、手のひらを返したように、連日新たな
政局に対する期待や、今後についての予測など、マスコミの話題が一転した。
思想や表現が自由であるはずのこの時代に、多くのマスコミ報道が諸問題についてそろって
似通った論評をし、社会や世相について国民を誘導しているかの様子が、今の日本では
本当に深刻だ。
マスコミに惑わされず、しっかり世の中を見据え、判断できる見識を持っておきたいものだ。
民主・自民の他、第3極と言われる党の乱立で行われた総選挙で、選挙期間中、真っ先に
議論された「原発」問題も結局は争点にはならず、国民は目先の「不況」からの脱却、
経済政策の転換を最優先した形の選挙結果となった。
小選挙区制で前回、民主党に譲り涙を飲んだ自民党議員が多数返り咲き、オセロゲームの
ごとく、民主党と自民党がそっくり入れ替わったと言っても過言ではない。
ブログの表紙でも書いたように、完全比例代表制だったら今回の比例得票数を480議席に
配分すると、自民133、維新98、民主77、公明57、みんな42、共産29、未来27、社民11、
大地3になることを検証すれば、国民は決して自民党を信任したのではないのだ。
民意の反映されていない選挙結果にますますやりきれなさを感じる。
意気揚々の安部さんは、組閣にあたり5人の女性閣僚を入れると言う。ほんと?
麻生さんの財務大臣、谷垣さん、石原伸晃、山本一太の入閣???
お友達内閣の何物でもないじゃないの。それぞれ政治の場面で失敗した人々たちが…。
蘇りのゾンビ集団に見える。自民党の体質は、世代交代も、世襲廃止も変わっていない。
それを派閥均衡内閣と合格点を与えるかのようなマスコミ報道。がっかりしている。
昨日韓国で初めての女性大統領が誕生した。パククンハさん。
1952年2月生まれの私と同じ年だ。
選挙戦報道ではじめて波乱万丈の彼女の人生を知った。
政治家の家庭に生まれ、両親も暗殺による最期を遂げられている。
大統領の父親に付き添うファーストレデイとして、政界に関わることになった。
暴漢に襲われ瀕死の重傷を負う経験もあり、結婚もせず、ひたすら韓国の政治に身を
捧げてきた人のようだ。
韓国で「女性」のトップが生まれたことに、国の変化、時代の変化を思う。
私利私欲のない、格差社会の解消目指して、女性ならではの手腕を示してもらいたい。
そして日本では、期待した女性議員たちは、単なる小沢ガールズ、小泉チルドレンと
呼ばれる人たちはしっかり落選した。淘汰されて当然だと思う。
本来の女性の「個人が個性を発揮し、主義主張をしっかり展開してほしい」ものだ。
たまたま同時期に行われた選挙の風景に、常々女性にも男性と対等に活躍してほしいと
いう私の願いも込めて、韓国の新たな時代の幕開けに期待と拍手を贈りたいと思う。

歌舞伎界の革命児と言われた中村勘三郎さんが逝った。
私がデイズニーランドに出かける日、早朝からテレビで逝去のニュースを報じ、まさかと
驚いた。
弟と同じ年の、昭和30年生まれの働き盛りだ。
素人の私の知識では、四国の金毘羅歌舞伎、平成中村座などで大衆に広く身近に「歌舞伎」の
魅力を伝えようと、実際に行動的に実践した人である。
「梨園」といういつの間にか特権階級の家柄のようにおさまっている歌舞伎の役者の世界に
ダメ出しをして、「芸人」である本来のサービス精神を発揮し、江戸時代からの大衆歌舞伎を
目指した姿勢はニュースで知っていた。
人生の平均寿命から言えば、志半ばにして天に召された勘三郎さんのことについて、テレビで
福岡県の嘉穂劇場の2代目主人伊藤英昭さんが、インタビューを受けておられた。
そうそう、地方の芝居小屋を愛した勘三郎さんは福岡県飯塚市の嘉穂劇場の舞台も何度も
踏み、2003年夏の集中豪雨で同劇場が壊滅的な打撃を受けた時も復興支援イベントに
駆けつけた。嘉穂劇場復興支援の時も歌舞伎、大衆演劇というジャンルの分け隔てなく、
同じ役者として接してくれ、本気で嘉穂劇場復興を望んでくれた…という思い出を話されて
いた。
嘉穂劇場と言えば、2005年に福岡県の筑豊地域の嘉麻万葉を学ぶ会の主催で「全国万葉
フォーラムin飯塚」が開催された、その会場となった場所だ。当時の外務大臣の麻生太郎
さんが、ようこそ飯塚へ…、そして日本一の芝居小屋嘉穂劇場での開催を喜んでくださった
お祝辞が思い出される。
万葉フォーラムの開催予定を決めてから直後、2003年の集中豪雨があり、水につかった
惨状の嘉穂劇場も、また明石家さんまや、津川雅彦、また中村勘三郎さんなどが、先頭に
たって復興に立ち上がられて、2005年に予定通り元の姿を取り戻した嘉穂劇場で、
記念すべき全国万葉フォーラムが滞りなく行われた。
そしてその伝統ある舞台で、岡本三千代と万葉うたがたり会の「万葉うたがたりコンサート」
を経験させて頂いたことをまざまざと思い出した。
確か嘉穂劇場の入口には勘三郎さんの場面を書いた看板があがっていたように思う。
テレビでも追悼番組が続く。
「歌舞伎」のために情熱を傾けられたその功績は、必ず引き継がれていくことだろう。
勘三郎さんの死を無駄にしないためにも…。
さがしたらようやくありました。娘も出演できた嘉穂劇場。会場での貴重な親子写真です。
翌年の年賀状としてみなさんにお出ししました。この小屋にも勘三郎さんのたましひが
あったのですね。心からご冥福をお祈りいたします。
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甲南女子中学校で出会った私たちのお付き合いは、昭和40年の春から…。
出会ってから47年になるんだ!と感慨。
10年くらい前に旅行をした親しい仲間で、また旅をしたいね…と言いながらのびのびに。
「じゃあ、還暦になったら是非記念旅行をしよう!と約束して数年。いよいよその時期を
迎えました。
でも仕事がますます忙しくなっている私や、親の介護で出にくくなっている人や、状況が
様々で、時期がなかなか決められず、また住まいも関東と関西ということで、妥協点を
探すことの方が大変でした。
結局、時期は私の仕事が一段落した後ということで、12月に決定。また場所は京都の
はずが、介護で家を出にくい松ちゃんが顔をだせるようにと東京で集合することになりました。
東京もはとバスで東京見学とか、おかまバー見学???などいろいろ案があったようですが、
最終的にやはり新たな人生の門出に「夢の国へ行こう!」と、東京ディズニーランドに
決定しました。でも結局私は仕事のあと追いかけていくことに、また松ちゃんは、初日だけ
参加ということになりましたが、仲良し6人が全員顔を揃えられることになりました。
私は、夜到着したので、アフター6パスポートで入場。すぐに夜のパレードがはじまり、
食事をしながら、華やかな音楽と照明と、演出の巧みさに興奮しながら、見入ってしまいました。
夜景の写真はむずかしいですね。3匹の子豚のシーンです。
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私も昔は東京ディズニーランドに結構はまっていて開園してから10年以上毎年通い続けた
一人ですが、ディズニー・シーの前年に行ってからは一度も機会がなく、私にはようやく
念願かなっての東京ディズニーランドの旅となったわけです。
でもますますグレードアップして進化していました。やはり「夢の国」でした。
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車体はもちろん、モノレールの窓もつり革も、こんなにかわいい。
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バスもここまでさりげなく凝ってます。
ホテルはもちろんオフィシャルホテル。私ははじめての東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾートでした。
2室に分かれるまで、さんざんしゃべって笑って食べて飲んで???
寝たのは午前2時半。朝起きて東京ディズニーランドを満喫する体力があるかどうか心配でしたが、
結果的には、ジェットコースター系のものも3つほど経験し、「怖いものしらず」の私たち。
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ジェットコースターは、やはり万歳して乗らないと!!!ねっ。
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夢の東京ディズニー・シー。見渡す限りの異国情緒に感動。暖かい小春日和の1日でした。
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時期がちょうどクリスマス前というのもよかったようで、特別のイルミネーションも素敵。
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食事もご紹介。デザートの皿やカップももらって帰れます。
ミッキーーパンや、ミッキーゆでたまご…。かわい~い。どうやって作るの???
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十分満喫したはずなのに、心を残しながら帰途につきました。万歩計ではシー1日で11キロ
歩いていました。山の辺の道よりすごいやん!…と。でもあちこち行きつ戻りつしても
苦にならないのですよね。それがすごい。
それとなく「おばさんパワー」を自覚しつつ、最後の見学地は「新しくなった東京駅」。
改札から出してもらって、1周してきました。絵葉書も購入。
最後の最後まで貪欲に時間を過ごした私たちでした。
2日間、本当によくしゃべり、笑い、笑い、笑い…。
もちろん現実のシビアな話の中に、ふと本音をもらしても受け止めてくれる変わらぬ温かい
友情があり、理解や励ましがあります。出会った時から、屈託のない「中高生」に戻っていた私たち。
これから先もずっと、それぞれ健康で、何度でも集まれるような機会を持ちたいものです。
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帰りの新幹線も寝て帰るはずが、最後まで大盛り上がり。
本当に楽しい「夢の国」でした。
サロンでは出発日からドールハウス展が始まっていましたが、山寺さんが快く出してくれました。
おかげさまで、みんなに約束も果たせましたし、すっかり気分転換もできて気持ちは晴れ晴れです。
帰るなり、山寺さんに東京ディズニーランドへ行こう!と誘っています。

ホームページトップに「馬小屋」の写真をご紹介しましたが、
これは、カトリック教会でクリスマスに「馬小屋」を飾ってキリストの誕生を
祝う習しがあることから、例年クリスマスを迎える準備に入った
時期から、聖堂の入口に準備されます。
もちろん教会だけではなく、カトリック信者の個人のお家でも「馬小屋」を
家族で語り合いながら飾る習慣が今もあります。
クリスマスを迎えた25日の朝には、この籠の中に赤ちゃんのキリストの御像が
いらっしゃいます。
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聖堂には立派なクリスマスのリースが置かれ、クリスマスまで、1週間ごとに蝋燭が
増えていきます。
今年もあとわずか…。先月お祈りをして見守って頂いたこと…山口リサイタルや、私の
行事や個人の冥福などに感謝のお祈りをしながら、毎回のお恵みをしみじみ思いました。
そしてもうすぐクリスマス。
教会は、ミッションスクールの仁川学院という学校と隣接していますが、通りがかりの
満天星つつじがあまりにきれいで、パチリ。
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静かな、晩秋の光景です。
馬小屋を近くで見ると聖母マリアと聖ヨゼフがおられ…。
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そして今日のお祈りのもう一つの大きな感謝は、昨日40年来の甲南女子校の友人6人で
還暦記念旅行が実現したことでした。
次のブログでご報告をしようと思いますが、「デイズニーランド」に集合しました。
神様、夢のような楽しい「時」をありがとうございました。