21日から(準備は前日も…)始まった澤田さんの作品展で、サロンTSUBAICHIは画廊として
活躍しています。
初めて来られた方は、ギャラリーと思われているかもしれません。
今回は私のグランドピアノもカバーをかけて静かに控えていますが、やはり、音楽サロンが
メインです。
開場が10時ですので、いつもよりは早く出勤し、掃除をして、空間を整えてお客様を
お迎えします。「接客業」ということを特に意識する毎日です。
このたび個展をされた澤田さんは、犬養先生を通じてご縁を得た、万葉のお仲間で、もう長い
お付き合いです。犬養万葉顕彰会では、数少ない女性の役員も引き受けて頂きました。
こうして趣味で日本画を描かれることを、今回の作品展を通して知られた方も多いと思いますが、
サロンの賑わいを拝見していますと、絵をご覧頂くことが目的ではありますが、この機会を
きっかけに沢田さんと旧交が温まったり、ゆっくりお話をされる時間であることの意義を
強く感じます。また、TSUBAICHIに来られるきっかけともなったようで、私にとっては、
みなさんの賑わいが本当にうれしく、ありがたいことだと思いました。
沢田さんも体調が万全でないので、連日、本当にお疲れだと思いますが、このサロンで
過ごされる時間はきっと疲れや、体の不具合も軽くなっておられるのではないかと思います。
何かと忙しい毎日ではありますが、「忙しさ」とはなんぞや…です。
私は大学生の時に好きな言葉として「多忙」と言っていた時期がありました。
毎日が忙しく、充実する時間を送ることが幸せだと感じていたと思います。
今も変わらない自分に苦笑しながら、しかし、自分で選択し、望んだ「忙しさ」の日々に
周りの方々から、健康を気遣って頂いたり、オーバーワークを注意されたり、心配をかけて
いますが、やはり私の性分として「多忙」は合っているのでしょう。(笑)
それも人と接すること、出会いの場は、より幸せな場面です。
沢田さんの作品展の最終日、盛会でありますように…。
毎日サポートしてくださっている妹の迫田廣子さんと…。
被災地で、「言葉は無力ではない」と発信を続ける詩人や歌人の記事を読んだ。
現地にて 陣頭指揮とる 一人の 政治家おらぬ 日本の不幸(長谷川櫂)・・・同感!
なぜ短歌なのか。
「俳句より長い分、嘆き、怒り、悲しみなどの感情をストレートに表せる…。」という。
また、「詩歌は人間の人生や運命に寄り添って、喜びも悲しみもすべて詠み、今日本人が
感じていることを言葉で伝えることが、詩人、歌人の使命」ともあった。
この記事は、被災地からの恐怖・悲しみ・切迫した思いを「言葉」で紡ごうというもので
あったが、「言葉の力」を信じ、言葉の豊かさを取り戻し、紀貫之の「歌は天地を動かす」
という言葉の引用などから、すぐに私は『万葉集』に詠まれた歌の臨場感を想像したし、
また、言葉や歌の持つ力についてあらためて考えさせられた。
昨年、万葉うたがたりの30周年を記念して、作った曲が「言霊の幸はふ国へ」。
2首の万葉歌は、柿本人麻呂の歌であるが、遣唐使の餞別歌として作られたとも言われる。
メッセージは、「言葉が祝福をもたらし、無事であってほしいことを、波が打ち寄せる
ように、何度でも重ねて事挙げをする。」
「日本は言葉の魂が(言霊)が、人を助ける国である。無事であってほしい。」
コンサートでご披露した時以上に、東日本大震災も経て、混迷の日本に対して切実に
万葉歌の思いが今に重なる。
日本よ、よくなれ、頑張れ…と託すことではない。
風評被害・報道・発信・非難・批判・責任転嫁と今は「言葉の暴力」が、横行し、ますます
悪い方向へ向かっていることが、私は許せないのだ。
「言葉」に魂や命があるだけ、よけいに慎重に、大事に言葉を選んでほしい。
磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ。
1年近く前からご予約を頂き、その日が訪れました。
日本画歴5年と言うことですが、このご挨拶にあるように、「日本人の心情を大切にしたい
気持ちを日本画に託してきた」と言われたことは、美しい風景、特に植物をテーマに描いて
おられます。これは、『万葉集』に詠われた背景としてのこだわりが強く感じられました。
まだ始まったばかりですので、作品はブログで、まだ公開しませんが、中心の日本画10点に
加えて、ちぎり絵の色紙、また泉山未生流師範代としての生け花、作品が扇子になったもの
など、まさに沢田ワールドが公開できたことを心からうれしく思いました。
初日のきょうは、10時からオープンするサロンに、9時半ごろからお客様が足を運ばれ、
出足は上々でした。セレモニーが終わらないときちんとオープンできないので、まず沢田さんに
テープカットをして頂きました。そして始めに、沢田さんの絵画の先生で、今回の作品の
ご指導、また展示準備全般に関わって頂いた駒原敏博先生にご挨拶を頂戴しました。

駒原先生には、澤田さんの個展によせて、心のこもった一文を寄せて頂きました。
ご挨拶でもまた、「感動できる心を大切にして、技巧よりも自分自身の納得のいくように
これからもたくさん描き続けてください」とエールを送ってくださいました。
先生自らも、澤田さんの展覧会に間に合うように作品を書いて下さり、入口に掲げさせて
頂きましたが、「祈り」という、仏様の絵です。東日本大震災を経て、芸術家にできること
は何かと自問自答される中で、生まれた作品だとお聞きし、先生のお人柄にも尊敬しました。
沢田さんが、素晴らしい先生と出会っておられたことを自分のことのようにうれしく思いました。
また今日のサプライズは、堺市長の竹山修身さんが来てくださったことです。
「修身」という名刺のお名前を拝見し、いい名前やな…、私は一生忘れないと思いました(笑)。
大仙公園の犬養万葉歌碑建立では、幡谷市長(故人)にお世話さまになりました。また、
続いての木原市長は、阪大の出身者でもあったことから、犬養万葉顕彰会の会員でもあり、
堺万葉歌碑の会の沢田さんの協力者でもありました。その現職の木原さんを破った竹山市長
に、きょうはじめてお目にかかったのですが、本当によく来てくださったと思いました。
大阪府職員から転身されたので、私が大阪維新の会のことを尋ねましたら、きっぱり「私は
所属はしていません。」とおっしゃいました。私は橋本知事の「大阪都」構想や、首都機能
移転の準備や、地域連合など、共感できることは多いので、「がんばってください」と
申し上げたかったのですが、(理念は共通であろうと思われますが)、首長が1つの政党に
属する立場はきっとよろしくないのでしょう。肩すかしを食ってしまいました。(汗)
ただ、澤田さんがこうして首長の交代があっても行政側と太いパイプを持っておられることの
感心です。私は歴代西宮の市長にお目にかかる機会は何度もありましたが、親しく話すどころか、
名前すら覚えて頂いていません。「私だから」と言うことではなく、「西宮市長」が、個人に
呼びかけられる風景なんかみたこともないし、そんな雰囲気でもない。万葉の各地で私も
含めて、それぞれの方が、行政の方々と溶け込んでおられるのに、西宮は市民となんと距離が
あることか…。竹山市長さんも、今日の訪問は社交辞令的なものかもしれませんが、「市民」
の活動の場へ顔を出してくださることの誠意に、大変うらやましく思いました。
堺市民として、沢田さんは感激されたと思います。
初日のきょうは、50名近い入場者でにぎわいました。体調が万全ではない澤田さんですが、
25日(水)まで、描かれた日本画を通して、多くの方々との旧交を温め、出会いを楽しまれ
元気が戻られることでしょう。
沢田さんの喜びのお手伝いをできることを開催者として意気に思っております。
本日は、近畿以外に、横浜や鳥取からもご来場ありがとうございました。
では、また報告をお楽しみに…。
昨日は、ダイエーで!
すぐなくなっちゃうので、(食べて…ではなく、店頭で!)2箱ゲット。
しかし、しみじみ分析するに、私は「チョコチップ」の食感が基本的に好きなのだと納得。
しかし、ミント系は美味しいですよね。ハーブもチョコも(アフター8など)、歯磨きも!?
文字も瞿麦・石竹と万葉仮名の4文字の「な・で・し・こ」以外にむずかしい漢字表記されるが、
ひらがながやさしくて自然だ。
地球温暖化に伴い、もはや秋の花ではなくなった。5月には咲き始めるようになった。
植物誌などを見ても、花期は、6~9月…と微妙な説明。
この写真のなでしこは、ビルの中に作られた庭園で咲いていたものである。
ピンクが華やかで美しく、また緑の葉に映える。「照り映える」という言葉がよくわかる。
この建物は、オリックスが全国展開で経営する高齢者住宅「グッドタイム・リビング大阪ベイ
」で、高齢者がこの中だけですべての社会生活が営める施設である。
ホテルのように明るくきれいで、また施設も行き届いていて、美容院・バーカウンター、
カルチャールーム・医療施設・売店…何もかもが便利にそろっている。
祖父が亡くなる直前にも、こじんまりとしたこのような施設に入いいたので、懐かしくまた
興味深く一通り見学させて頂いた。
さて、なぜ私が…ですが、このホームのカルチャーで『万葉集』の講師を探しておられると
いうことでご紹介頂いたのだ。
要介護の方々もおられるので、また一味ちがった切り口で『万葉集』をご紹介するのに、
むずかしさがあるが、ただ介護をして見送った祖父母のことや晩年の犬養先生を思い出し、
目前の高齢者の方々と重ね合わせて映った。ひょっとして再び対話ができるような楽しみも
あるかな?…とこのような機会を得ることも何かの縁かな・・・と思いながら帰宅した。
そうそう、なんとめずらしく「白いなでしこ」も見つけた。めずらしい???

福島第1原発の炉心溶融が現実のこととして公表された。
地震直後、この事態がおこらないことをだれしもが内心祈りながら、連日の報道がなされ、
時には、東京消防庁の「NHKプロジェクトX」を髣髴とさせるような、決死の注水が行われ、
その後も私たちは政府・保安院・東京電力の微妙に違う報告を聞きながら、過ごしてきた。
その時間経過が、メルトダウン(炉心溶融)の恐怖の今後をマヒさせ、連日マスコミを始め、
コメンテーターが、ひたすら収束のための工程表の批判や、変更を促している。
東日本に地震が起こり、津波が押し寄せ、自然の脅威と恐怖をあらためて、私たちは思い
知らされたが、それから先は、「人災」だ。
原発の不安、地球温暖化の影響となっている過分な電力消費、食の安全、経済不況などなど
すべて今日の問題が浮き彫りにされた。
民主党に政権交代し、長い自民党政治のすべての「つけ」を清算するための交代だったのか
と思えるほど、同情すべき状況に陥っている。
ともかく私は連日の新聞・テレビなどのマスコミ報道は、信用しないようになってきた。
この人災は、石川迪明氏が述べられたように、まさに戦争と言えるのだ。最悪の事態を予測
して作られた原発は、机上のこと。実際に天災がきっかけでおこった事故は、誰もが正しい
解決の方法を持たない前代未聞の事故なのだ。
東京電力の「非」はあるだろう。しかし毎日被爆しながら現場で対応している人たちのことを
思うと、気の毒でならない。マスコミで原子力が専門の多くの大学教授が出演して、解説?
対応方法などを述べておられる。口で言うのは簡単。政府と一体で日本の原子力開発を
すすめてきた東京大学への批判もあるのだろうか。
原子力保安院も以前から問題視されてきた半端な第3機関。今後消滅していくだろう。
しかし光明も見える。民主党に変わったからと思いたいが、東京電力をはじめ、電力会社の
独占が見直されるきっかけも生まれた。発電と、送電は、分離して売買ができることを初めて
知った。「東京電力」の今後が言われるが、地域独占企業としての体質が今後はっきりと
問われ、責任を果たさざるを得ないであろう。
また、火山国、地震国、活断層の多い日本、また島国日本の境界線の浜辺に多く作られた原発
依存の今後にも歯止めがかかってきた。
母たち全国オンブズマンは、安全性を問い、税金の無駄遣いを問い、反対運動を行ってきたが、
族議員の地元根回し、住民へ補償金の飴、安全神話を作り出し、強引に今日まで国家政策と
して行ってきた。先日静岡県の浜岡原発が、総理大臣命令で停止となった。活断層の上に
建てられている、もっとも危険な原発であるらしい。東日本大震災の余震、予測される東海・
南海地震に備えての早急対応に、私は当然だと思ったが、各県知事が「なぜ、浜岡だけなのか」
とか、「政府の見解を示せ」とか、一斉にブーイングが起こったが、そのことの方が私は理解
できなかった。現在の「戦争」があらたに起こらないために、ともかく危険なものは封印する
ことは必至だ。「統一見解により、原発による電力供給はやめます」なんて、極端なことが
できるはずがないのに、「やめてもらったら困る」地元エゴも含めて、言いたい放題だ。
また、国民に「節電」「自然回帰」の覚悟も生まれてきた。こんな大惨事がなければ、謙虚に
受けとめる機会があったかどうか。我が家のマンションもオール電化だ。国策に乗せられた
ライフスタイルを余儀なくされ、節電対策も深刻だ。
被災地の収穫・事業の低下は、経済不況を増幅し、税金だけではなく物価の値上げも起こり始めている。
忍び寄っていた日本の危機が、地震から被爆まで及び、私たち日本人が神様に本当に試されている
ように思う。
「民主党」の中でも菅おろしや、被災後の党批判、再編・選挙のための再編成など、本当に
もっとも日本の再生を邪魔しているのは、国会議員をはじめとした政治家たちだと強く思う。
被災地へ行くでもなく、危機的状況で、議員報酬の削減を決めるでもなく、対策に直面して
いる政府の足を引っ張っているだけだ。
被災地や原発地域の人たちにも言いたい。推進・談合の議員に票を投じた「つけ」ですよ…と。
原因は地震・津波であるけど、それから後に起こったことは「現代戦争」である。
それをいかに乗り切れるか、国民の知恵と勇気と覚悟にかかっている。
日本が存続するか、沈没するか、神様が見ておられるであろう。
私が昔戦ったわけではありませんが、昨日、子供の頃から親しんできた場所「明石」で、
全国万葉協会の総会があり、久しぶりに散策にも参加しました。
いまや、私たちの子供の頃の「明石」は、神戸市西区として統合、変更された地域もあり、
ずいぶん地図も塗り替わりました。
明石公園は、JR・山陽電車の駅前にあり、小学生の頃から、遠足や写生大会、毎年の菊人形を
見物しに、「垂水」が実家でしたので、私もよくやってきた場所であり、大変懐かしかった
です。広大できれいに整備された公園に本当に驚き、感心しました。
電車から時々見ていた明石城にも久しぶりに登り、「今浦島」を痛感しました。(笑)
高台からよく見えていた海が、今は海岸が埋め立てられ、高い建物が林立し、美しい景色が
ほとんど見えなくなりました。明石海峡大橋も後方にまぎれてしまっています。
私の知る明石は、人丸神社と月照寺、また東経135度の子午線の通っている明石天文台でしたが、
今回は、その他明石市立文化博物館の立派な建物も初見、明石神社や、本松寺、妙見社、亀の水、
初めて行ったところもあり、意外な散策スポットであることに感心しました。人丸神社は、
正しくは柿本神社でした。山陽電車の最寄駅も「人丸前」ですので、地元の私たちには「人丸」
が身近なネーミングです。
境内には、有名な歌碑が並んでいます。
左は、「天さかる 鄙の長道ゆ 恋ひくれば 明石の門より 大和島見ゆ」の万葉歌碑。
真ん中は、「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも」と、さすがに
人麻呂オンパレードで、右は、百人一首の柿本人麻呂の歌。
お隣の月照寺にも、「ともしびの 明石大門に 入らむ日や…」の碑がありました。
明石スカイツリーではありません???(笑)。明石市立天文科学館の建物と、1直線になった
場所で写した子午線標準線の標柱のショットです。わかるかな。
春爛漫は、平戸つつじも、もう盛りを過ぎていましたが、月照寺で目をひいた接ぎ木の芍薬。
グラデーションとなって咲いた花色がきれいでした。
全国万葉協会の総会日だけあって、各地から多くの方々が参集されていました。
役員の中には、明日香村稲淵の小倉さんも…。「古代の時」を楽しく学んでおられました。
さわやかな5月の1日。被災地からは、報告と感謝のご挨拶に茨城県から大木さんも参加して
くださいました。あまりの平和?生活の温度差にかえって切なくなられたかも知れません。
元気パワーを持ちかえって頂ければ幸いです!
私も久しぶりの「古戦場」を、懐かしく、いや反対に興味深く楽しんだ一日でした。
帰宅中のコンビニで、ようやく見つけました。
セブンイレブンの今年のパッケージの絵柄が変わっています。
そして定番のロッテのクランキーミント(しかし、年中あるわけでもない…。)
昨年、我が甲子園のららぽーとに「31アイスクリーム」が入りましたので、チョコミントは
いつでもゲットできるようになったのですが、なぜか季節商品扱いのようで…(汗)
「ミントって、歯磨きの味みたいやん!」とおっしゃる方もございますが、そんな他人の
趣味嗜好とは関係ございません。好きなものは好き!!!
さて、またミントアイスとの出会いが楽しみになってきたぞ…いひひ。
準備してきた、5月10日がやってきた。
昨日の天気予報は、降水率80パーセント、そして台風1号の接近などで、絶望的!
ともかく午前中だけでもなんとか、もってほしいと祈るような気持ちで目覚めた今朝は
既に雨が降っていた…。ショック!
楽しみにされていた皆さんの顔を思うと、「ズバリ雨の日」というのが、申し訳なく、
重い足取りで家を出た。万葉旅行で、私が自宅から長い柄の傘をさして出かけることが、
はじめてではないかと思えるくらい、めずらしい雨のスタートとなった。(泣)
ところが、ところが、近鉄電車に乗ったとたん、雨から光も射してきて、「晴れてる!」
私だけではなく、「テルテル姫」と言われる北辻さんをはじめ、晴女の威力があったかも。
たいへん蒸し暑かったが、台風のおかげ?で、風も強く、救われた。
甘樫丘→水落遺跡→飛鳥坐神社→小原→奈良県立万葉文化館→明日香民俗資料館→
石舞台公園(夢市茶屋で、昼食)→石舞台→橘寺→川原寺→伝飛鳥板蓋宮跡→犬養万葉記念館
のコースを歩き、万歩計で計測したところ、約8キロ歩いた。
初めての明日香散策で「そんなに長い距離は無理…」と言われていた方もあったとか…。
でも楽しく、鳥の声を聞き、咲いている草木花を楽しみながら、ゆるやかに歩いたので、
みなさん気がつかないうちに全行程を踏破。やったあ!。ご協力ありがとうございました。
また参加者の中に、鳥博士、植物博士!?がおられ、私のためにメモして頂きました。
またブログ報告をしたいので、後日記録を発表させて頂くので、光っご期待!!!
100パーセント雨を覚悟の万葉旅行だったが、本当に奇跡のよう、青空での記念写真です。
神様、ありがとうございました。
神戸新聞の第一面の正平調というエッセーは、どなたが書かれるのか、素晴らしい論説を
いつも欠かさず楽しみに見ている。
連休の頃、五木寛之さんの「他力」について、書かれていた。
五木さんの言う「他力」とは、すべての人を救う阿弥陀如来の力で、すなわち浄土真宗を
開いた親鸞の教えである。それを頼みに生きることを「他力本願」と言われる。
親鸞は、天変地異が続く時代に生まれ、京の都の大火、突風で家が吹き飛ばされ、地震で
山は崩れ、川が埋まり、飢えた人々が野山をさまよい歩く状況で、何に救いを求めればいい
のか、迷い悩む若き親鸞の姿を五木さんが小説に描いている。
東日本大震災に重ね合わせ、無数の悲しみが折り重なる被災地に立てば、親鸞はどんな
思いを抱くだろうとの問いに、五木さんは、ただ黙って涙を流し、人の重荷を少しでも
引き受けようとする、それが親鸞の目指した救いだと考える。
大切なのは、「頑張れ」と言う励ましより、ともに悲しむ心ではないのか・・・と。
論説は、私たちが16年前に体験した震災を振り返って「私たちを生かした他力は何だった
のだろう」とあらためて考え、私たちに問われている。
キリストの救いにも、マタイの福音書に「来なさい、重荷を負うもの。私はあなたを
休ませる」という一節があり、共通して「相手を受け入れ、共に重荷を背負って歩む姿」が
表されている。
偶然に、4月にコンサートをさせて頂いた真光寺は西本願寺派の浄土真宗のお寺だったし、
また越前バス旅行で訪れた毫摂寺も浄土真宗の真宗出雲寺派のお寺で、「親鸞」の文字を
引き続き何度も目にしていたことが、特に気になっていたこともあり、論説も特に、興味
深かった。「親鸞」をもう一度ゆっくり読んでみようと思う。
「自分の痛みを知ってこそ、他人の痛みもわかる」というけれど、自分の痛みがあっても
他人を理解できない人も多いのが現実だ。反対に、他人の痛みで「健常者」がPTSDに陥る
現代人の心のひ弱さも露呈されている。
そうなると、宗教以前の「人間力」が試される今日の問題にも発展していきそうだ。
私は論説を読んで、正直ほっとした。毎日報道を見ることのひたすらつらいこと。私たちも
同じ経験を、また思いをしたことで、同情をするしかできない私。それでいいのだ!
母の丹精したベランダの爛漫。


