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「生きていてよかった!」としみじみ思いました。
なかなかこんなチャンスに恵まれる人も機会も少ない中で、私はやはり幸せ者です。
思いがけず、建立予定の歌碑に、私が万葉歌を揮毫させて頂いたのです。
場所は大阪府交野市、古代の「交野が原」という地域です。
今回の万葉歌碑建立もその象徴の一つですが、このあたりは、星にちなんだ名前の地名や、
伝説が多く残る「星のまち」、また「星降る里」として地域活性を図っておられますが、
機物神社などもあることから、七夕伝説のロマンによせて「おりひめの里」としても有名
です。
そしてこのたびは、交野市駅の近くを流れる「天野川」にかかる「逢合橋」のたもとに
万葉歌碑を建立されました。
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除幕式の1時間前の、橋に飾りつけられた七夕飾りの人気投票の様子です。
明日が本番なのに、こんな雨で笹飾りがかわいそうでした。幼稚園児や小学生の思い思いの
飾りが、華やかで楽しいです。お祈りごとも結構面白い!!!(笑)
天気予報通り、夕方から本降りの雨で、晴れ女を豪語する私もさすがにお手上げ状態でした。
小ぶりになっては、また降りだしたり、なかなか思わせぶりな雨模様でした。
前夜祭と言うことで、暗い中でもあり、先に除幕式前の写真です。
書の私と、歌碑に牽牛・織女の絵を書かれた、真和子さんと…。
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市制40周年記念事業でもあり、中田仁公交野市長も参列して下さいました。
どさくさ?で引っ張った除幕です。気がついたら終わってたって感じ???
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市長、実行委員長のあいさつ、丹羽大手前大学教授の万葉歌説明のあと、私は万葉歌を
朗唱させて頂きました。
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除幕が終わってから、歌碑は暗くてわかりづらいですが、ともかくそれぞれに記念撮影。
後方、私の右側が今回、私の揮毫を推薦して下さり、歌碑建立に尽力をしてくださった
毛利さんです。本当にありがとうございました。
実は、今回の顛末は、5月の末に打診を頂いた直近のことで、万葉歌碑建立が街づくりの方々
の悲願だったとはいえ、交野市の事業計画の中に入るかどうかや、建立場所の決定、申請、
認可などが、実際七夕の行事の、時間的に間に合うかどうかのせめぎ合いの中ですすめられて
いきました。
私も打診を受けた時に、地元の方を含め、揮毫候補者が多くおられる中のほんの一人だと
くらいに思って、戸惑いながらもお返事をしていたのが、本当に瓢箪から駒状態でした。
「岡本さんに決まりましたので、お願いします」と毛利さんから依頼があってから、
1週間後に提出と言う超スピード制作で、準備も練習も足りず、何と傲慢なことだったかと
そればかりが今も心残りです。
ただ、お習字は子供の頃から好きで、結婚した後まで続けていました。でも…でも…
筆を持たなくなってから、30年以上経っていました。
紙を購入し、まだ持っていた、古いお道具箱から新品の筆を取り出し、サロンで山寺さんも
帰宅した後、集中して書いたのは数日で、思ったようにも書けなかったのですが、でも
とても懐かしく楽しい時間でもありました。
私は全くの素人ですので、「書」として万葉歌の文字や和歌のバランスを、書家の岩田恭子
さんにご教示頂きました。お忙しい中をご協力頂き、本当にありがとうございました。
先生のお手本とは、雲泥の差になってしまいましたが・・・とても参考になりました。
建立の予定も微妙でしたし、私の揮毫と言うことも逡巡があって、なかなかみなさんに
前もってご連絡をすることができませんでした。
それでも聞きつけて、私の人生の歴史的行事の瞬間に何人かの方が立ち会って下さいまして、
本当にありがとうございました。
まだ実感がないのですが、「私の書いた歌碑」ができました。
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幻想的な竹に彫られた文字がライトアップされてきれいです。
終日の雨、このあと簡単なお祝い会のお食事をし、もちろん私はこの日のために作曲した
万葉歌をご披露させて頂きました。万葉うたがたりの岡本ですから・・・♪
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そして、今日は7月7日。朝からの雨…。夜は晴れて欲しい…と祈りながら、昨夜除幕された
歌碑が、7月7日に逢合橋でみなさんに見て頂く日でもあり、私も再び現地に行ってきました。
周辺を車はよく通りますが、人は少なめ。
歌碑のすぐ横に私の大好きな桜の木が植わっています。桜の季節にもぜひ来たいと思いました。
私も歌碑となって、今日からは交野市民になりました!!!
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目の前にとても悲しい、さびしい現実があるのですが、今回はまた「清々しい気持ち」まで
体験をさせられた訃報でもありました。亡くなられて、1週間後のお便りでした。
三重県名張市の夏見廃寺跡は、大伯皇女の建立した寺、昌福寺だといわれており、薬師寺縁起
には「大来皇女 最初斎宮 以神亀二年 為浄御原天皇 建立昌福寺 字夏見 本在伊賀国
名張郡」と記述されています。大伯皇女が父、天武天皇ために発願したお寺だと言われており
現在は、国の史跡となり、近くの公園に夏見廃寺展示館も建設されています。
その庭には犬養先生揮毫の万葉歌碑もあり、犬養先生の歌碑の建立にももちろん関わられ、
私とは、ひめみこの会のお世話で万葉うたがたりコンサートをさせて頂いた時に出会った、
石原弘子さんとおっしゃる素敵なご婦人が逝去されたのでした。
個人的に時々お便りをしていましたし、12月のコンサートはご主人さまの通院の日にあたり、
断念されたのですが、DVDを待ち兼ねて購入して下さり、過分なその感想も頂いていました。
それから、3ヶ月くらいでしょうか。
ご主人さまからの封書が届き、ご主人名に胸騒ぎを覚えました。
封書の中には、石原弘子さんからのお手紙とご主人のお手紙の2通が入っていました。
「前略、ごめんくださいませ。突然のご報告と御礼を申し上げる失礼をお許し下さい。」
で始まるご本人のお手紙は、自身の亡くなられたことと、これまでの感謝と、葬儀を行わず、
個々にお別れの手紙とされたことが書かれてありました。そして、正装で微笑まれ、
「ありがとう」の文字の入った素敵なお写真が添えられていました。
亡くなられた驚きとともに、見事なまでの遺志を貫かれた人生の幕引きに、石原さんの人生の
美学ともいうべき哲学を見ました。そして、それを理解し、尊重し、希望を叶えられた
ご主人さまやお嬢さまたちの優しさに、よき家族の姿を見ました。
お手紙を手に、ひたすら信じられなく、最近まで、名張の歴史の勉強会を主宰されたり、
記者生活から退かれたあとも、名張の歴史や昔話の掘り起こしや、子供たちに伝えていくために
それでかるた会をなさったり、ひめみこの会も地域の活動の1つでしたし、大変秘めた情熱と
信念を持たれて、頑張ってこられただけにあまりにあっけない事実の残酷さに、呆然とし、
残念でなりませんが、徐々に、「石原さんらしい」と思えるようになりました。
ご自分もしっかりみつめながら逝かれたその最期に、私は喝采を送りたい気持ちです。
ガンであり、死と向かい合われた苦しみもあったでしょう。その上で、覚悟と準備に、
冷静にすすめられた意思の強さにも、心から敬意を表しました。
そして、清々しい気持ちというのは、失礼かもしれませんが、さわやかにお別れできたこと
への私の感想です。
男性以上の能力・活躍でしたが、また、いつもお洒落で、女らしい、やさしい口調の石原さん
を思い出し、これからも本当にすべてを見習いたいと思います。
どうぞ安らかにお眠り下さい。でも、きっと千の風になって、お墓にもいらっしゃらない
かも・・・。千の風になって、大きな空を吹き渡ってください。
素敵な人生に、献杯申し上げます。

1週間たった今日、北九州地方では、大雨の報道がなされていて、平成16年の大洪水や、
昨冬の雪害など、時々大きな天候災害に遭遇する地域なので、何事もなければいいが…と
気になっている。
1週間前の6月4日は、梅雨間であったが、大変恵まれたよいお天気で、堺の除幕式と重ならない
ことで、前日から福岡県の飯塚市へ出かけた。
目的は、尊敬する万葉学者の大久保廣行先生の講演会があることを知り、是非聞きたかったのだ。
大久保先生は、山上憶良のご研究に深いことから、平成17年の嘉摩万葉フォーラムで、多岐に
わたりご指導やご協力を頂いたご恩もあるが、昨年の12月の中之島のコンサートのDVD を
見て下さり、その後ご丁寧なお頼りと共に、私が舞台で紹介した「熊凝」や、大伴旅人の
讃酒歌について大久保先生が書かれた論文をわざわざ同封して下さったり、いつもながら本当
に誠実で、温かいお人柄に、こうしてご縁を頂いていることを恐縮にまた光栄に存じている。
講演会は、「旅人の想い―最期にまつわる花、梅と萩と」という興味深いタイトルで、もちろん
「梅花の宴」の梅、萩を意識しながら亡くなった旅人を思い、どのような内容だろうかと
楽しみに聞いたが、さすが、大久保先生らしい時代背景や、旅人を中心とした人間関係の
紹介や、太宰府や憶良との出会いなど、丁寧に説明があり、その上で、大久保先生が、近年の
テーマの1つとして研究されてきた、旅人・憶良の老境や病・死に対する二人の文学上で
読み取れる生き方、今回は特に旅人の最期について、「萩」は心のふるさと、明日香への回帰
であったことを学び、望郷は奈良ではなく、たましひの安住の地は「明日香村」であったのか!
とあらためて考えさせられた。昨近、90才を過ぎた認知症の大叔母が、名前を問われて
家族みんなが忘れていた、嫁ぐ前の「旧姓」のフルネームで答えるというのを聞いた。
無意識になっても「私」は、なつかしい子供の時の世界に立ち帰るのだろうかと思ったばかり
だったせいもあり、旅人の話に、妙に現実的な臨場感を覚えた。
「恋」もしかり、学生のときには『万葉集』で、犬養先生のお話を頭で理解することはできても
ピンとこなかった「心情」の部分が、今、「老い」についても、自分が年を重ねることで、
新たな理解ができるようになる。『万葉集』は読み手によって違う輝きを放つ、不思議な書物だ。
大久保先生ありがとうございました。時間的に忙しかったけど、行ってよかった!!
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気持ちの良い朝、講演会の前に、遠賀川周辺を散歩をした。土手には「ツバナ」がいっぱい
そよいでいた。万葉の「浅茅」「茅花」である。ここは特徴的だ。
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国土交通省の河川工事で、整備とともに建立された万葉歌碑2基。芳雄橋をはさんで旅人と
憶良の歌碑が建てられたことから、歌碑の近い方に「憶良口」(上)、「旅人口」(下)と
名づけられていた。
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橋から望んだかつてのボタ山も、年数が経ち、緑が定着した普通の「山」になって、新緑が
美しかった。
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遠賀川も大規模な河川工事を経て、静かで美しいたたずまいをみせている。
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川のほとりにはベンチがあったり、ゆったり流れる時間を感じるスペースになっている。
飯塚市のイラストマップがあった。
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これはマンホール。万華鏡の模様のように色がきれい。このモチーフは市の花「コスモス」と
関係ありか???
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散歩の最後に寄ったのが、「スーパーASO」。そう、ここは麻生元総理大臣の故郷であり、
「麻生」関連の名のつく事業も多い。病院もあるし、スーパーの買い物ぶくろに明記してあるか
どうかなと、とりあえず買ったのが対馬の藻塩。目的の「袋」にASOの印字が…(笑)
いつもながらに好奇心満々のオカモです。
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おまけは、久しぶりの博多駅。九州新幹線の開通後、初めて到着。新幹線の掲示板に見覚えの
ない「さくら」や「つばめ」の表示が…。おー、感動!次回は鹿児島までのってみたいものだ。
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大久保先生の講演を拝聴したあと、篠原さんご夫妻のご厚意に甘え、一緒に歌碑散策へ。
飯塚・稲築・桂川町から大宰府の坂本先生の新歌碑探しまで、限られた時間だったが、
おつきあい頂いた。次はそのご報告です。

このたび、難波津に建立された万葉歌碑は、標高6.84mの日本一低い山と言われる、堺市
大浜公園の中にある築山の蘇鉄山の上にあります。
山頂には登録名が大浜公園の一等三角点があり、みなさんが日本一低い山だと認識される
天保山は、標高4.53mでやはり低いですが、二等三角点で最も低い山と言われていて
・・・!?、まあどっちもどっちですが・・・(笑)。小高い場所でした。
フォトギャラリーでご紹介もしていますが、堺市のロータリーの事業として、今回の
万葉歌碑建立でいくつかの希望が託されていました。
遣唐使の母の歌、
旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 吾が子羽ぐくめ 天の鶴群 (巻9・1791)
の「言葉」にあるように堺市民を「羽ぐくむ」ことから「育む」意までの思いや、また
大浜公園の石碑文「擁護璽」のある蘇鉄山を選ばれたのは、3月の東日本大震災に遭遇した
ばかりの日本で、今後、南海地震や東海地震などの危険予知のある昨今、かつての堺市民の
教訓から、無事に助かったことが記された碑のあるこの場所に建てる意義などのご紹介も
ありました。そして、私たちは命がけで、国使として役目を帯びた遣唐使たちが出発した
難波の港に、同行するわが子の無事を願い、思いやる母の歌が歌碑に選ばれたことを嬉しく
思いました。山内さんの説明を聞き、臨場感が迫り、胸がよりいっぱいになりました。
犬養先生、おめでとうございます。そして、この地で、また大地に踏ん張って、万葉人の
心を語り続けてくださるのですね。ひょっとして、津波も両手を広げて遮ってくださるので
しょうか。日本のふるさとの守り神です。
ロータリークラブは、犬養万葉ファンがこんなに参加されるとは、夢にも思っておられなかった
ことと思います。このギャラリーの多さ!(笑)。除幕式が晴れがましいものになりました。
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除幕の写真撮影のラッシュはすごかったですねえ。竹山修身市長は、公用で遅れて来られた
のですが、この想定外の賑わいに驚き、喜ばれたことと思います。
先日TSUBAICHIでお目にかかった私? 思いだしてくださいましたか。
犬養万葉歌碑でお世話になるのは、故、幡谷市長、前木原市長に続いて3人目ですが、
是非、ご理解頂き、仁徳天皇陵のある古代史にゆかりある磐姫の歌碑があること、高石市から
移転した高師の浜の歌碑も含めて、万葉故地としても認識を深めて頂きたいものです。
除幕式に参列のロータリアンの背広姿と対象的だった竹山市長のアロハ姿! びっくりしました。
なんとスーパークールビズの最先端だそうで、堺市が販売して2日目のアロハシャツを着用。
市の花、ハナショウブ柄に「堺」の文字も入っています。お相撲さんの浴衣みたいな気も…。
いやいや、ごめんなさい。ユニークなグッズでした。
それから、犬養先生の歌碑の除幕式に、私たちTSUBAICHIでバス調達をしましたので、
初めて父も参加しました。
昼食後、大仙公園の磐姫皇后の歌碑、高師の浜の歌碑めぐりもしました。
せっかくなので、わがパパショットです。
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高師の浜では、山内さんの傍でしっかり説明を聞いて、よくわかった!と喜んでいました。
私は参加してくれて感謝です。喜びを共有できる時間をもてましたもの。
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予定通り、4時までに大阪で解散できました。バス手配から、総世話人代表の山寺さんには
いつもながら、感謝・感謝です。言い出し兵衛の私の思いをいつも実現してもらえることは、
本当にありがたいことです。オカモはすでに、次の列車に乗り込んでいますし…。
山寺さん、またよろしくね(笑)。

今日から、私のサロンTSUBAICHIで、沢田冨美子さんの個展が始まりました。
1年近く前からご予約を頂き、その日が訪れました。
日本画歴5年と言うことですが、このご挨拶にあるように、「日本人の心情を大切にしたい
気持ちを日本画に託してきた」と言われたことは、美しい風景、特に植物をテーマに描いて
おられます。これは、『万葉集』に詠われた背景としてのこだわりが強く感じられました。
まだ始まったばかりですので、作品はブログで、まだ公開しませんが、中心の日本画10点に
加えて、ちぎり絵の色紙、また泉山未生流師範代としての生け花、作品が扇子になったもの
など、まさに沢田ワールドが公開できたことを心からうれしく思いました。
初日のきょうは、10時からオープンするサロンに、9時半ごろからお客様が足を運ばれ、
出足は上々でした。セレモニーが終わらないときちんとオープンできないので、まず沢田さんに
テープカットをして頂きました。そして始めに、沢田さんの絵画の先生で、今回の作品の
ご指導、また展示準備全般に関わって頂いた駒原敏博先生にご挨拶を頂戴しました。
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駒原先生には、澤田さんの個展によせて、心のこもった一文を寄せて頂きました。
ご挨拶でもまた、「感動できる心を大切にして、技巧よりも自分自身の納得のいくように
これからもたくさん描き続けてください」とエールを送ってくださいました。
先生自らも、澤田さんの展覧会に間に合うように作品を書いて下さり、入口に掲げさせて
頂きましたが、「祈り」という、仏様の絵です。東日本大震災を経て、芸術家にできること
は何かと自問自答される中で、生まれた作品だとお聞きし、先生のお人柄にも尊敬しました。
沢田さんが、素晴らしい先生と出会っておられたことを自分のことのようにうれしく思いました。
また今日のサプライズは、堺市長の竹山修身さんが来てくださったことです。
「修身」という名刺のお名前を拝見し、いい名前やな…、私は一生忘れないと思いました(笑)。               067.jpg
大仙公園の犬養万葉歌碑建立では、幡谷市長(故人)にお世話さまになりました。また、
続いての木原市長は、阪大の出身者でもあったことから、犬養万葉顕彰会の会員でもあり、
堺万葉歌碑の会の沢田さんの協力者でもありました。その現職の木原さんを破った竹山市長
に、きょうはじめてお目にかかったのですが、本当によく来てくださったと思いました。
大阪府職員から転身されたので、私が大阪維新の会のことを尋ねましたら、きっぱり「私は
所属はしていません。」とおっしゃいました。私は橋本知事の「大阪都」構想や、首都機能
移転の準備や、地域連合など、共感できることは多いので、「がんばってください」と
申し上げたかったのですが、(理念は共通であろうと思われますが)、首長が1つの政党に
属する立場はきっとよろしくないのでしょう。肩すかしを食ってしまいました。(汗)
ただ、澤田さんがこうして首長の交代があっても行政側と太いパイプを持っておられることの
感心です。私は歴代西宮の市長にお目にかかる機会は何度もありましたが、親しく話すどころか、
名前すら覚えて頂いていません。「私だから」と言うことではなく、「西宮市長」が、個人に
呼びかけられる風景なんかみたこともないし、そんな雰囲気でもない。万葉の各地で私も
含めて、それぞれの方が、行政の方々と溶け込んでおられるのに、西宮は市民となんと距離が
あることか…。竹山市長さんも、今日の訪問は社交辞令的なものかもしれませんが、「市民」
の活動の場へ顔を出してくださることの誠意に、大変うらやましく思いました。
堺市民として、沢田さんは感激されたと思います。
初日のきょうは、50名近い入場者でにぎわいました。体調が万全ではない澤田さんですが、
25日(水)まで、描かれた日本画を通して、多くの方々との旧交を温め、出会いを楽しまれ
元気が戻られることでしょう。
沢田さんの喜びのお手伝いをできることを開催者として意気に思っております。
本日は、近畿以外に、横浜や鳥取からもご来場ありがとうございました。
では、また報告をお楽しみに…。

私が昔戦ったわけではありませんが、昨日、子供の頃から親しんできた場所「明石」で、
全国万葉協会の総会があり、久しぶりに散策にも参加しました。
いまや、私たちの子供の頃の「明石」は、神戸市西区として統合、変更された地域もあり、
ずいぶん地図も塗り替わりました。
明石公園は、JR・山陽電車の駅前にあり、小学生の頃から、遠足や写生大会、毎年の菊人形を
見物しに、「垂水」が実家でしたので、私もよくやってきた場所であり、大変懐かしかった
です。広大できれいに整備された公園に本当に驚き、感心しました。
電車から時々見ていた明石城にも久しぶりに登り、「今浦島」を痛感しました。(笑)
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高台からよく見えていた海が、今は海岸が埋め立てられ、高い建物が林立し、美しい景色が
ほとんど見えなくなりました。明石海峡大橋も後方にまぎれてしまっています。
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私の知る明石は、人丸神社と月照寺、また東経135度の子午線の通っている明石天文台でしたが、
今回は、その他明石市立文化博物館の立派な建物も初見、明石神社や、本松寺、妙見社、亀の水、
初めて行ったところもあり、意外な散策スポットであることに感心しました。人丸神社は、
正しくは柿本神社でした。山陽電車の最寄駅も「人丸前」ですので、地元の私たちには「人丸」
が身近なネーミングです。
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境内には、有名な歌碑が並んでいます。
左は、「天さかる 鄙の長道ゆ 恋ひくれば 明石の門より 大和島見ゆ」の万葉歌碑。
真ん中は、「大君は 神にしませば 天雲の 雷の上に いほりせるかも」と、さすがに
人麻呂オンパレードで、右は、百人一首の柿本人麻呂の歌。
お隣の月照寺にも、「ともしびの 明石大門に 入らむ日や…」の碑がありました。
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明石スカイツリーではありません???(笑)。明石市立天文科学館の建物と、1直線になった
場所で写した子午線標準線の標柱のショットです。わかるかな。
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春爛漫は、平戸つつじも、もう盛りを過ぎていましたが、月照寺で目をひいた接ぎ木の芍薬。
グラデーションとなって咲いた花色がきれいでした。
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全国万葉協会の総会日だけあって、各地から多くの方々が参集されていました。
役員の中には、明日香村稲淵の小倉さんも…。「古代の時」を楽しく学んでおられました。
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さわやかな5月の1日。被災地からは、報告と感謝のご挨拶に茨城県から大木さんも参加して
くださいました。あまりの平和?生活の温度差にかえって切なくなられたかも知れません。
元気パワーを持ちかえって頂ければ幸いです!
私も久しぶりの「古戦場」を、懐かしく、いや反対に興味深く楽しんだ一日でした。

天皇誕生日の12月23日、交野の星田妙見宮の参道入り口に、万葉歌碑が建立され、
除幕式が行われました。私たちのお仲間で、万葉や歴史が大好きで、わが町「交野が原」の
七夕伝説の掘り起こしと、郷土文化の発信に尽力されている毛利信二さんが、この事業にも
協力しておられたので、楽しみにしていました。
朝方、雨もあがり、山寺さんと共に、星田神社の近く、星田妙見宮へ。
交野市は新興住宅地もあれば稲田もあり、開発途上かもしれませんが、見渡すと「交野が原」
という名前にふさわしい平野の広がりが感じられます。
3年前に交野市倉治の機物神社で、たなばたの万葉歌碑が除幕されましたが、今回こうして
新たな碑ができ、引き続き地元の方々が、がんばっておられる様子を拝見することができて、
うれしく思いました。
万葉歌は、
「織女(たなばた)の 舟漕ぎ出らし まそ鏡 清き月夜に 雲立ち渡る」

(巻17-3900)大伴家持の21歳の時の歌です。ひこぼしのもとへ織姫が、船に乗って
出かけていく・・・歌は、日本の七夕歌は、男性から迎えに行く歌に趣が変化したと言われており、
中国式の発想を感じます。今日で、この周辺歌碑は5基になりました。
除幕式のあと、ご神体の星石?!(織女石)は、昔、北斗七星の3つの星が落下したその
一つという伝説の石だそうで、是非にみたいと、長い長い階段を昇り表敬してきました。
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この地域が七夕に関わる機物神社があったり、天上のロマンを思わせる星田神社、星田妙見宮
また逢合い橋や、天野川などがあります。近隣の枚方には牽牛石があったり、本当に地霊に
魂が宿るならば、このあたりは天空の里とも言うべき、ロマンチックな情緒があります。
今後は、日本に伝説をもたらした中国の行事を検証したり、日本で七夕で有名な地域との
交流や、まずは地元の誇りの文化として、毛利さんはじめ、みなさんが、楽しく関わって
おられるのを拝見して、私もうれしくなりました。
来年の七夕は、是非もう一度ここに伺いたいと思いました。除幕された歌碑は星田の森にあり、
秋の紅葉、春の桜が美しい四季折々の風情に恵まれたところのようです。
毛利さんのお心遣いで、帰りに、枚方税務大学校の「犬養歌碑」まで連れて行ってください
ました。久し振りです。「石走る…」の歌碑は、御影石で反射するので、写真に必ず人が写り
ますが、うまく「桜の木」のみのアングルで写せました。
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万葉のお仲間が集い、交野市のあらたな万葉のシンボルとなった歌碑の除幕式に参列できた
ことに感謝しています。
ただ、昼食会場に携帯電話を忘れ、本日奪還してきました!(時間がないのに…)!

好天の続くこの頃ですのに、10月9日はめずらしい雨の1日でした。
平城京のすぐ近く、大伴家の邸宅のあったであろうと思われる佐保の住宅地の
一角に、文化や歴史の発信地、佐保山茶論があります。
3年前の富山県高岡市で「奈良から来られたお客様」として、高岡市万葉歴史館で
主の岡本さんをご紹介頂いたことが、ご縁のはじまりです。
昨年には、茶論のあるご自宅の玄関前に、大伴家持の万葉歌碑を建立されました。
万葉歌の選択や、揮毫は、大伴家持の研究家として随一の高岡市万葉歴史館館長の
小野寛先生に依頼されたのですが、縁は異なもの、小野先生のご出身の奈良高校が、
佐保山茶論のすぐ近くにあり、小野先生も卒業生として誇らしく思っておられるでしょうし、
歌碑が故郷に錦を飾った!感じです。(除幕式はフォトギャラリーで紹介すみ)
その後、佐保山茶論の主催される貴重なバロック音楽の演奏の機会に私たちも与ったりして、
ご縁が深くなっていきましたが、今年は特に平城遷都1300年記念の年なので佐保路(地元)
にある文化発信地として、積極的に民間協力をなさっておられる1つの行事に、私たちの
コンサートを企画してくださいました。
佐保山茶論の「初めて体験する万葉うたがたり」のお客様を念頭におき、岡本さんと相談の上
(なぜか、佐保山茶論のご主人も岡本さんでした!!!)
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会場も大伴家ゆかりの地であることから「大伴旅人の追想」と言う万葉ものがたりを
上演させて頂きました。私の万葉うたがたりでは、「額田王」に次ぐ2つ目のストーリーの
ある出し物ですが、大伴旅人役の菊谷高広さんがハマリ役で、旅人の味わいをより深めて
くださっています。
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この日、雨でなければ、この離れのある広いお庭で野外コンサートを予定していました。
折からの時雨で、室内になってしまいましたが、私たちの背景の雨もお庭の緑もかえって
自然でよかったようでした。
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平城京イベントですので、先日からご披露している、天平美人の出で立ちです。
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今回は、ともちゃんと美佐ちゃんに出演協力してもらいました。
ともちゃんの迫力ある「旅人」の歌に、臨場感が高まりました。
後ろに飾られている「朱雀」の幡は、何と美大生の岡本さんのお嬢さまの作品です。
この機会に合わせて書いてくださったそうで、幡は奥さまが手縫いで仕立てて・・・と
ご家族の協力の賜物でした。おかげさまでより演出効果がありました。素晴らしい!!!
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ぎっしりのお客様、ありがとうございました。
今日は、確実に大伴旅人の「たましひ」や息吹きを感じながらの1日でしたが、大伴家ゆかり
の地にある佐保山茶論で「大伴家持」や「大伴坂上郎女」など、万葉を歌う私としては
新たなテーマに挑戦したいと意欲をかき立てられました。がんばらなきゃ!!!
佐保山茶論のホームページに当日の様子を掲げてくださっています。
いろいろお世話さまになりまして、ありがとうございました。

行ってきました! 下妻へ!
気になっていた、139基目の犬養歌碑。サロンTSUBAICHIの夏期休暇は
世間のお盆の時期に合わせて、3日間(13・14・15)と取らせて頂きますが、
その期間は、かえってお里帰りの混雑と重なってしまうので、少し早めに
有給?休暇をもらい、出かけてきました。
出かけた12日は、ちょうど、大阪は台風4号の影響で雨模様でしたが、関東は曇り空
で、かえって風もあり、酷暑から開放された1日でした。
建立者の大木さんが、私の急な予定に合わせて、わざわざ関東鉄道常総線の大宝駅(無人駅)
で出迎えてくださいました。
大木さんは、約10年前から万葉の大和路を歩く会に参加しておられ、その後犬養万葉顕彰会へも
入会され、毎月の旅行会や、万葉関連の行事のたびに、関西・奈良方面へ何度も足を運んで
下さっていますが、このたび私も東京からつくばエクスプレスに乗り、関東鉄道に乗り換え
現地へ伺ったことで、距離感もよく理解できましたし、時間とお金をかけて何度も足を
運んでくださることに感謝しました。
私は大宝八幡宮へは、犬養万葉顕彰会の東国旅行の下見時に、車で立ち寄ったことあるので
初めてではなかったのですが、今回「自分の足」で確認することができ、関東鉄道の
行く手に見える筑波山の山容や、周辺遥かに広がる関東平野の稲作畑に、感動しながら
旅心に弾んで向かいました。

大木さんの住まわれる下妻市は、常陸国ですが、大宝八幡宮はその名の通り大宝元年
つまり大宝律令の制定された701年の創建と言うことで、やはり万葉時代とゆかりの
ある場所に犬養先生の歌碑が建立された感慨を感じました。
フォトギャラリーでまたご紹介しますが、私たちが万葉旅行の下見で立ち寄ったのは、
既に大木さんによって、(坂本先生監修の)筑波嶺に登る歌の長歌歌碑が建立されており、
境内の狛犬の台座石には、大森亮尚先生の「筑波嶺」の防人歌が揮毫されています。
数年前に、万葉旅行のコース設定の途中に見学させて頂いたことがありました。
この八幡宮は、もと大宝沼(鳥羽の淡海)に囲まれた台地の大宝城の跡に建っており、
城壁に沿ってあじさい苑が作られています。前回うかがった時はちょうど紫陽花が美しい
時で、その時の印象がとても強く残っていますが、開園されて15年目の今年が今までで
もっとも美しかった…と山内宮司さんがおっしゃっていました。
ひととおり宮司様にご案内して頂いた後、私の時間の許す限り、大木さんに筑波山周辺の
万葉歌碑や、?歌(かがひ)をした場所(5説くらあるらしい)の候補地を3箇所連れて行って
くださいました。私がサロン名に「海石榴市」を謳う「歌垣」とよく似た、筑波山での行事です。
そして、ブログでご紹介の写真は「オカモ」の歌???
「筑波嶺に 雪かも降らる いなオカモ かなしき子ろが 布乾さるかも」の万葉歌碑です。
いやいや、「イナ、丘も…」とここは飯名(いな)神社の境内でした。
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横にちらりと大木さんが…。
報告事項はいっぱいありますが、本日の感想。
大木さんの書斎の窓を額縁として、「筑波山」を24時間見ることができる設計の
ご自宅に、感動!!! 大木さんの筑波山へのこだわりを見ました。
私も毎日「富士山」の見えるところに住みたい!!!!!
筑波山での楽しい一日に感謝。そうそうお昼も偶然犬養先生の好物だった「うな重」
でした。神様の計画はすごい!

サロンの近くの淀川の花火大会も8月7日に(無事終わり?)旧暦の
七夕の日を境に、秋風の吹きにし日より…の万葉歌のとおり「立秋」を迎えました。
気のせいか、少し風が立ち、一時の暑さもなごんだような気がします。
待ってましたとばかりに、車で通りがかった山間では、ひぐらしの声が聞こえ、
私は「秋」と言うと、心待ちの風情はなく、秋以降の行事や懸案を思って冷や汗が
流れます。
サロンでは、高校が夏休みと言うことで、教師の山内さんに、サロン開所当時から
こだわって開催してきた「犬養先生を語る」シリーズを再度お願いしていました。
今回はホットニュース(HPでもご案内している、茨城県下妻市大宝八幡宮に
建立された犬養先生の書による万葉歌碑)もあり、山内さんが除幕式に参列されたので、
その報告を是非聞かせて頂きたかったこともあり、サロンのプロジェクターを活用して
映像で確認しながら臨場感あふれるお話を伺えました。
私が138基目と思っていたのは誤りで、犬養先生の生誕100年祭の時期に堺と福岡県桂川町
に2基建立され、136基となりましたが、その後愛媛県久万高原と大津京に2基建立されて
いるので、実は今回で139基目と言うことでした。140基目も準備はされており…。
(内緒!)
また、新碑と合わせて、戸倉上山田温泉の「佐久屋」さんが、旅館を閉じられ、玄関庭
にあった歌碑が、千曲川沿いの万葉公園に移設されたことや、飛鳥坐神社の歌碑の敷地内
移転や、最新情報を教えて頂き、歌碑の建立に際して考えられなかった状況の変化などに
複雑な思いも残った。しかし、この暑いさなか、山内さんの行動力にも脱帽する。
ひたすら「歩く」情報収集なので、熱中症にくれぐれも気をつけてくださいね!!!
仏教で言えば、今年は犬養先生の13回忌に当たります。ちょうどお盆の時期も近く、
今回は私の中では「犬養先生を偲んで」というテーマで、皆さんに来ていただきました。
NHKのアーカイブス「あの人に会いたい」のビデオを見てから、次には、
万葉うたがたり会の歌姫、大岡美佐ちゃんによる犬養先生がお好きだった島崎藤村の
『若菜集』『落梅集』からの詩歌の名曲コンサートで、万葉旅行などを思い出して
頂きました。舞台では「初恋」の乙女の可憐な美佐ちゃんの浴衣姿が素敵でした。
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お暑い中、多くの方にお集まり頂き、ありがとうございました。
今後も「犬養先生」を特化して、サロン企画で続けていこうとおもっています。